「ダーリンの頭ン中」
「ダーリンの頭ン中」

夫の友人が、「最終ページの『ダーリン』であるところのトニーさんの写真をみてびっくり!友人にそっくり」と言っていたので、様子見モードだったけど、思わず購入した。
この本はマンガを描いている小栗佐多里さんの『ダーリン』であるところのトニー・ラズロさんの専門(?)であるところの語学について焦点をあてた本になる。
二人の夫婦のやりとりをおもしろくおかしく描いた「ダーリンは外国人」は、世間一般ではやるより前に偶然寄った青山の大きな書店で、こぢんまりと手書きポップで平積みにされていたのをみて、2巻とも即買いした。
そのときからこの夫婦のやりとりって好きで、旦那さんのトニーさんは夫に似てるなあ、世間の夫ってこんなものなのかなー、あ、この旦那さんは外国人だった。ってことは夫も外国人なのかな。確かに、夫は「デザイン国言語州正しい日本語普及県から来ました」って言ってても、違和感が無い、と思っていた。
この本を買ってみて納得。夫はただの日本語オタクだったのです。
私も人よりは言葉にはこだわりが強いほうだと思います。本もたくさん読みます。古文・漢語・英語を勉強するのはとても好きです。法務の使う用語も一種の言語だと思っていて、だから細かいことにいちいちこだわっても苦になりません。(もちろん、他職種にも言語があると思います。経理は会計の用語を使ってて、同じ言葉なのに法務と定義が違ったりするし、エンジニアなんて「どの言葉を使えばエンジニアと話が通じるのか」と模索したくなります…。現状は、それぞれの職種同士の言葉が通じにくくなっているので間を翻訳してあげるだけで仕事になるし、感謝されると思います。「異なる職種のことば/いい分自動翻訳ソフトウェア」を作りたい~)
けれども、夫のその日本語へのあくなきこだわりと、古き良き文化の維持への活動には、時々びっくりします。夫の最近のブログは言語ネタが多いです。夫の最近のブームは「○○しにくい」というべきところを、「○○しづらい」というのが許せない、ということだし、「#」が「ナンバー」であるか「シャープ」であるか、ということには彼にとってとても重要なことのようです。「#」ネタについては、この本にも書いてあって、「夫以外でこだわっている人を始めて見つけた」と思いました。私はよく「時代の流れに逆らうなんて無意味だよ。言葉は日々変遷していくものだし、コミュニティによって言語が違うのは当然でしょ」と反論していますが、まあ程度問題なのでしょう。
そこまでこだわってて、夫以外にそれを嬉しそうに語り、それを推進しようとする人を始めてこの本で見ました。そして、その人が言語学オタクであると知って、「ああ、私の夫って言語学オタクだったんだ」と思いました。夫は、自分を理解してもらうために、この本の普及活動でもしたほうがいいと思う。
この本で述べられている「言語は文化である」というような命題とか、「漢字は素晴らしい」とかってことは、私も日々意識して生きていて、あまり新しい発見はないのですが、そこで出てくる例示は知らないことも多くて、とってもためになりました。
そこでふと、この本に書いてあるような知識であるとか、概念であるとかを私はどこで学んだのかなー、と思って二つの本を思いつきました。この本をおもしろいと思った人にお勧めです。
「全国アホ・バカ分布考?はるかなる言葉の旅路」

関西地区で金曜深夜に放送され、視聴率25%程度を常に誇っている番組『探偵ナイトスクープ』のある回の放送、「アホとバカの境界線はどこか?」の調査から始まり、日本語にあるアホやバカを表す言語の由来、蝸牛考(言葉は同心円を動くように広まる)について調べ、筆者の見解を述べた本。
エンターテイメントとしてもミステリーのようにとてもおもしろい。これを読んでしばらくは「言語学を専門としたい!」という考えにとりつかれてしかたがなかった。私には分からないけど、きっと学術書としても価値のあるものだと思う。
「日本人の英語」

父の本棚にあったので中学生ぐらいに読んで感銘を受けた本。英語のaやtheの概念を日本語で分かりやすく説明している。英語学習の目から鱗が落ちた本。この本を読んでから文法問題に困らなくなった。
「文法」というのは、その国の言語がどう育ったか、どの言語が何を表そうとしているのか、ということを体現していて、文法問題を解く為にその規則を覚える際にも、その歴史や意義を知っておくことは意味があると思う。
この続編も出ている。座右の書。
ちなみに私はそんなプチ言語オタクであるところの夫と日本語の語義概念を巡って争って勝つこともあります。判決は辞書をもとにします。ちょっと自慢。夫の知り合いのみなさん、彼のいうことを真に受けすぎないでくださいね。結構、間違ってますよ。










