上司の責任と部下の責任
夫は小さな会社に勤めていて、管理職のような役職にいる。私は夫よりは大きな会社に勤めていて、ただの一社員。
だから、ついつい話をしていると、「それは上司の責任でしょ」「いや、上司の責任だっていうのはもちろんだけれども、部下にも責任がないわけではなくてさ」という話になっていい争いになりがち。
この間も正すべき問題に部下が気づいたときに、上司への報告はどこまでが部下の責任でどこまでが上司の責任かで少し争いになった。
「問題に気づいたのは部下なんだから、部下は上司に訴状すべきだよね」
「そうなんだけれども、言いやすい環境を作るのは上司の責任だし、きちんと話を聞く、聞かないも上司の責任だ」
「上司に一番責任があるというのは否定しないけれども、部下だってどのように伝えるか、何を伝えるかを工夫すべきだ」
「いくら何を伝えるか、どのように伝えるか工夫しても聞かない上司がいるよね。そういうのは上司の責任じゃないの」
(妻の記憶による再現)
結局、二人の言いたいことは一緒で、上司:部下が8:2くらいでお互いに責任があるってことが言いたかっただけだったようでした。ただ議論してみて、この問題って難しい問題だなあ、と思ったのでした。
8:2とかいっても、境界線上の問題ってあるわけで、境界線上の問題が持ち上がったときに、「どちらの責任か」なんて議論をしだすと、たぶん、上司と部下でお互いに責任のなすり付け合いになるだけなんだろう。
組織としてパフォーマンスを最大化する観点からいけば、境界線上の問題で責任のなすり付け合いなんてしても、まったく意味はない。境界線上の問題なんてどうせお互いにどちらも責任があるものなんだから、お互いの非を認め合って、次にそなえるべきだと思う。つまり、普段からお互いに相手を慮ってコミュニケートして、どちらの問題か分からないことであっても気づいてあげるようにすべきだと思う。
でも、そこまでできてる上司、部下の関係ってどこまであるんだろう。
また、この均衡ってすぐに崩れやすくて、片方だけがこの理想的な「相手の問題に気づいてあげよう」とするコミュニケートな関係を続けていると、どうしても相手が甘えがちになって8:2のはずが7:3や9:1になったりして、どんどん自分のやるべきことが多くなっていくだけの気がする。
そこで、一方、たとえば部下が「いや、私の仕事は2だから」と突き放すのは簡単だけれども、上司があくまで「いやー」と、5の仕事だけしかしなかったら、部下としての理想的な振る舞いってなんだろう?私には分からない。私は、どうしても組織としてのパフォーマンスを考えてしまうから、自分がその5を埋めたくなる。でも私の能力には限界があるから、たぶんその5は埋められない。でも、私は間の3の仕事がおざなりであることに耐えられない。アンビバレントだ。
世の中ってそんなもので、どこにでもそういう埋められない「3」の仕事があって、みんなそれを見ないふりをして生きているのかしら。いや、みなに見えてるけどそれは個々人にとって耐えれる範囲で、今は私にはそれが耐えられない範囲で長期間みえてしまったから病んでいるのだろうか。私は、私に耐えれるコミュニケーションや責任のスキマのところを探して、もしくは作って、そこで働くべきなのだろうか。私はそんな場所を作ったり探したりできるのだろうか。
ああ、分からない。分からないのでオマケでかわいいココの写真。
ママ、お仕事のこと考えちゃだ~め~
ところで、これって部門間の「境界線上の仕事」に対する問題にも共通することだと思う。ついつい大きな会社だと「それはあの部署の責任」「いや、あっちの部署の責任って」ことで、境界線上の問題がなおざりにされがちだと思う。そういう仕事を片側の部署全体や、片側の部署の一個人がやってあげることは簡単なんだけれども、それってどんどん相手の部署の甘えを誘発することになると思う。そして、結局は、自分の部署なり、個人として引き受けているなら自分だけの仕事なりを増やしていくことになるんだと思う。その部署や個人に処理能力があるうちは問題ないけど、きっとそのうち処理能力が足りなくなる。そのときにはどうすればいいのだろう。
そもそも、そんな「どちらに親切な人がいるか」って綱引きだけで、仕事の配分って決めていいものかしら。私は管理部門の肥大化は、組織の硬直化につながるから、絶対に管理部門は肥大化しないほうがいいと思う。
でも、親切の綱引きの結果、えてして管理部門の人間が親切だったり細かいことにうるさかったり、より上位の組織のこと考えたりする(現場の人間は報酬が「全体」より自分の属する組織に比例しているから仕方がないともいえる)から、ついつい管理部門が肥大化しがちなのではないかと思う。
そんなことを考えないで、管理部門が肥大化していいのかしら。
理想的には、そういう部門間の「境界線上の仕事」なり、上司部下間の「境界線上の仕事」なりをうまくマネジメントするのが「管理職」や「社長」であり、マネジメントフィーや社長の給料というのはそれのために支払われているんだから、組織の「駒」である平社員はそんなことに思い悩むはずもないんだろうか。











ろじゃあです。
組織上の配分と、上司と部下の責任配分って確かに難しいっすね。
他のセクションから見た、ある部署の上司と部下(あと他の構成員)の仕事の責任は不真正連帯債務、マネジメントから見た複数の部署の仕事の責任も不真正連帯債務・・・って現役時代は研修では話をしていました。役員に話をするときも、商法の規定は一応置いといて(^^;)、経営者としてのあなたの責任は不真正連帯債務みたいなもんっす、実際は・・・と話をすると結構納得しやすいみたいです(^^;)。そのココロは、どちらかがどちらかに押し付けても自分が仕事ができる人の場合には結局自分に落ちてきますというところです。だからこそ、お互いが相手を尊重して考えないといけないんですけど、これをしっかりやってくれる管理職の資質を持ってる方は結構少ないですよね(^^;)。だからみんな悩むんだろうと思います。ろじゃあは、めんどくさいから部下として上司を育てるようにしてました。その方が早いから、実際(^^)。
管理部門の肥大化は、本社機能と職責をきっちり認識して行うならそれはある意味で「よい肥大化」のときもあります。本社の責任逃れがしやすい組織を構築する目的で、管理部門お肥大化は望ましくないとおっしゃる方がおりますのでろじゃあなんかはそういう動向には注意してましたよ。ホント、会社ってめんどくさいっすね。
ろじゃあさん、いつもコメントありがとうございます♪
確かに不真正連帯債務ですね…。だから、仕事ができる人って新天地を求めるのでしょうか。
上司を育てること…、私もトライしてみた瞬間があったのですが、私の能力不足か上司が手強かったのかその両方か、私の「なんでこの人はまったく人の話を聞いてくれないの」ストレスを溜まらせるだけでした。コツがあるのかもしれないので、ろじゃあさんのブログの連載テーマにぜひ「上司を育てるコツ」を一つ加えてください(笑)
「良い管理部門の肥大化」と「良い大きな政府」って同じ問題かもしれませんねー。確かに、ただ小さいだけ(警察もない政府)がいいとは限りませんね。法務も大きな組織にはあるべきだとは思います。
ただ、どちらも最近はあまりにも弊害が目立ちすぎている気がするのでした~。