文系サイエンスの必要性
「米ドルMMF手じまい」で夫に「君の売買にはサイエンスが無い」と言われたことやら、「頑張らない解決」で精神論じゃなくてサイエンスでミスは防止しないとなんてことを考えているせいで、私の中では文系サイエンスが流行中です。
そんな中、ふと思ってみたのですが、この日本人が苦手と思われる文系分野でのサイエンスって何のためにあるんだろう、なんて考えてみたので、少しだらだらと。
私が思うに、サイエンス(科学)なアプローチって、ある種の人には自明であることを「自明だよね」って本一冊なりなんなり使ってて、ただ説明してあげてるような気がします。天才が思いついた仮説や、ある種の人々にとっては習慣であり自明であったことを、論理的に裏付けしていく作業が文系サイエンスなのではないかと思うのです。
これって理系の科学でも一緒で、いかに素晴らしい仮説を思いつけるかどうかが科学者として一級かどうかを決めると思うのです。文系サイエンスとの違いは、その裏付けが論理的展開ではなく、実験によることだと思います。
理系サイエンスは「仮説が正しい」ってことを証明できれば、そこから何かしら技術が生まれるなりの発展があると思うのですが、文系サイエンスって、もともと「そうだよね。そんな気がするよね」って認められていたことを論理的に証明しているだけだから、恩恵を受けるのって誰かなあ、と疑問に思ったのです。
「そうだよね。そんな気がするよね」って思ってくれる人の間では、そんな論理的な解説なんてなくても通じ合うわけだから、一見、文系サイエンスなんてなくっても良いように思いませんか?
なんか、私は一瞬、そう思ってしまったんですよね。
でも、よく考えたら「そうだよね。そんな気がするよね」でまったく通じ合わない、異文化の相手と話をして、説得するときに論理に固められた文系サイエンスって重要なのかな、と思ったのです。
今の時代って、日本でも本当に分業が進んでいて、私は管理部門で働いているんですけど、同じ管理部門でも経理のことなんてさっぱり分からないし、同じ法務でも特許のことはやっぱりよく分かりません。しかも、同じ部署でも違う文化の会社から入ってくると、私には理解不能な思考をする人なんかもいたりします。ましてや、管理部門でない部門のことなんて全然分からないし、他の会社のことなんてさっぱり分かりません。
お仕事で話し合う相手が異文化になってきたから文系サイエンスが重要になってきたのかな、と思ったんです。
昔はきっとそういうこともなく、「そうだよね。そんな気がするよね」で通じ合えてた時代があるから、日本では文系サイエンスが発展しなかったんだけど、文系サイエンスが重要になってきたってことは今はもうそういう時代じゃなくて、異文化に囲まれた時代なのかな〜、と。
個人的には異文化コミュニケーションって疲れるので、第六感で通じ合える文系サイエンスの必要ない仲間と仕事したいです…。










