2006年11月30日

「男は女にやさしくすべき」と考える不幸へのコメント -スルー力より議論力の重要性と、「優しさ」の意味と、「病院に行け」の怖さ- ブックマークに追加する

まず最初に、自分の体調に対する判断の甘さから配慮の足りない文書をアップしてしまったことに対してお詫び申し上げます。以下に訂正版と「PMSになった場合にここまで感情的になり思考力/判断力の落ちる女性がいる」という資料として追記に訂正前のエントリの内容を掲載致します。

「女の子が子供を産むために払っている犠牲の一例」についてなんでかフラメンコ:[考察]「男は女にやさしくすべき」と考える不幸に取り上げていただきました。反対意見のようなことを望んでいる文書の書き方ではないと思うし、「ああ、そういう受け止め方の人もいるだろうなあ」と納得できるのですが、私が思ったことを書くのにちょうどいい題材だな、と思ったので私の意見を書きやすくするために取り上げさせてください。

まず、「女の子が子供を産むために払っている犠牲の一例」より以下の文書が引用されていました。

以上が、現在、私が子供を産むための機能を維持するために払っていると思われる犠牲です。私の場合は平均よりかなりひどめだとは思いますが、大なり小なり女の子はこの手の犠牲を払っているので、「男の子は女の子に優しくすべし」と思ってます。

「女にやさしくする 余裕も無い奴は いつまでたっても 何もできないよ」

本当にそう思います。

「病院に行ったほうが」という感想が予想されるのでそれについて書いておくと、婦人科はいろんな病院に何度なく通っていつも「異常なし」との返答を頂いています。

ここが一番違和感を感じた人が多いところのようです。私の文書がつたないため誤解を生んだ点も多いようですので、本文には頂いたコメントを参考に追記をいれさせて頂いておりますし、コメントで同じようなやりとりをしておりますので、そちらを読まれてもよいかもしれません。

私はこの部分がある意味もっとも主張したいところです。なので、なんでかフラメンコ:[考察]「男は女にやさしくすべき」と考える不幸の文書を取り上げさせていただいて、コメントを書く形で私が伝えたかったことを書きたいと思います。関連することを詰め込もうとしたたために、orochonさんの文書には直接の関連はないコメントもありますが、それはそのような形式であると考えて読んでいただければ幸いです。

また、私はorochonさんの人柄を存じ上げないために、orochonさんの真意とは別の読み取り方をしているかもしれません。しかしorochonさんの文書が形式上私宛ともとれる書き方をしていること、orochonさんが文書に対する私のすぐの理解や理解できない場合には反論を望んでいるとしたら(その可能性ほとんどないと思いますが)、私もorochonさんの文書の内容を理解するよう努力すべきですが、orochonさんも理解できるような文書で書くべきであることなどを考えあわせ、ある程度までは真意からはずれた読み取り方をしている場合もご容赦頂ければ幸いです。(もちろん「orochonさんの真意は違うと思う」という意見を述べられることを否定しているわけではありません)

「女には生理とか排卵とかあるんだからやさしくしてよ!」といわれたところで、男は「シラネーヨ」としかいいようがないだろうし、「男だってムラムラしたときにすぐに出せるわけじゃないし、たまたま目の前にあった尻を触っただけで人生棒に振ることだってあるんだよ!棒のせいで!棒だけに!」と上手いことのひとつも言いたくなると思う。

かなり上手いですね(笑)

最初に「男の子は女の子に優しくすべし」と私が思う前提に「女の子が子供を産むために払っている犠牲に関連する場合について」ということを無意識においていたようです。この言葉が適切でないなら、「女性が子宮と卵巣をもつためのツラサに関連する場合について」としても問題ありません。この点については気付いておらず申し訳ありません。但し、もちろん、このような苦痛があることは人格形成を含めた多様な方面に影響を及ぼしていると考えていますので、単純に子宮や卵巣に直接的に関連すると思われる場合のみを考えればいいというわけではないと考えています。

また、元の文書は生理に伴う苦痛が通常よりひどい立場である女性の立場として書いています。私が男性の気持ちを心底理解できるとは思わないですし、思わないのに「理解する」というフリをして中立であるかのように断ち振る舞うのも、常にそのように断ち振る舞うことを求められる社会も嫌だと思っています。

ですから元の文書は「(女の子が子供を産むために払っている犠牲に関連する場合について)男の子は女の子に優しくすべし」としか書いていませんし、今後も注釈以外の場所でそう述べるつもりもありませんが、女性も役割や個体差を踏まえた上での逆の思いやりを男性に対してすべきだと考えております。

また、いうまでもないことですが「(女の子が子供を産むために払っている犠牲に関連する場合について)男の子は女の子に優しくすべし」や逆も真なり、というのは私が思っているだけであって、他の女性が同じように思っているとは限りません。

そのうえで、人間の女性という生命体が子供を産むという機能を維持するために、個々の女性が払っている代償は、平均的に考えて、男性が生殖機能を維持するために払っている代償より大きいという事実は、男性も女性も目をそらさない欲しいと思っています。

問題を変えると分かりやすいと思うのであえて極端な例を出してみます。また、「優しい」という言葉が誤解を生むようなので「配慮」と言い換えてみます。ただ、私は「優しい」という言葉の語感が好きです。

おっしゃっていることは、身近に、分かりやすい障害をもっている人がいたとして「『障害をもってるから配慮して欲しい』?そんなこと言われてもシラネーヨ。俺だって分かりやすい障害をもつがゆえに出来なくても許されることがあるお前らには分からない苦労をしてるんだよ」と言ったり、先天性の病気にかかっている人に対して「『先天性の病気にかかってるから配慮して欲しい』?そんなこと言われてもシラネーヨ。俺だって病気という言い訳の使えないお前らには分からない苦労をしてるんだよ」と言うのと同じことだと思います。

そういう側面があるのは否定しませんが、だからといってその「目に見える障害」の人や「先天性の病気」の人を理解することを拒むのはやめて欲しいと思っています。

人類の半分近くは女性だと思います。男性は、その人たちが抱えているかもしれない苦しみに対して、「知らないよ」なんて言わずに知ってみて考えてみて欲しいです。その女性の多くが抱えている可能性が高いであろう苦しみを思いやれないのなら、いわんや、自分の身近にいる可能性が少ない他の弱者に対してをや、と思います。もちろん、その苦痛をもった女性と同じだけわかるとは思いません。同じ女性でもわからないでしょう。夫だって私の苦痛を心底分かってはいないでしょう。

しかし、分かろうとすることに意味があるのだと思います。私も男性のことはどうしても分からないので、一生懸命分かろうとしているつもりです。

確かに男に生理痛はないだろうが、生理休暇を取った女のせいで残業させられるハメになることもあるだろう。そんなこたあ、お互い様なんである。

私が使った「優しい」が色々な意味で氾濫しているという事実にまで考えが及ばず、単純に「優しい」という言葉を使ったところに誤解を生むところがあったと思いますので、私がここで伝えたかった「優しい」について説明させてください。

ここでいう「優しい」ということは「他人を思いやっていること」です。

そして、他人の要望をただ聞くだけが本当に他人を思いやっていることになるわけではありません。あなたの行動にまったく苦言を呈さない友人はあなたに対して「優しく」はないと思っています。相手のいうことを唯々諾々と聞くことは、実は言われる本人とっては精神的にひどく楽です。相手のことを慮らなくていいですし、それでうまくいかなかったときは「お前が言った通りにやってやったのに!」と相手のせいにすればいいだけですから。

マネジメントで考えると分かりやすいです。部下の要望だけを聞いて、部下の今後どうあるべきかということや、それが部下の特性を考えたうえで部下にとっての最適な仕事であるかということや、現在部下にかかっている負荷は部下にとって最適なものであるかどうかをを考えずに、「お前の望み通りしてやったのに何が不満なんだ」という上司は、まったくマネジメントということができていないと思っています。「優しい」や「思いやり」を勘違いしている例だと思っています。

また、製品作りでよく言われる「ニーズをウォンツの違い」ということも、それだと思っています。消費者の要望する機能である「ニーズ」をどんどん満たしていくことのみで、真に消費者が求める、消費者に優しい製品は出来上がりません。「ニーズ」の底にある、多くの消費者が意識もしていないような「ウォンツ」を満たす製品を作ろうとしてこそ、真に消費者が求める、消費者優しい製品を作れると思います。

あげていただいた例でいえば、「生理休暇を取った女のせいで残業させられるハメになる」ことに対して、その女性を必要以上に責めないことが、私がここでいいたい「優しさ」です。生理で休むことが明らかなのに、まったく引き継ぎを考えてない仕事の仕方をしていたら、そういうことは責めるべきだとは思うのですが、「生理で休まざるを得ない」ということを責めない、という思いやりが「優しさ」だと思います。

また、生理であることに触れて欲しくない女性に対して触れないのも「優しさ」でしょうし、必要以上に配慮して欲しくないという女性に対しては必要以上に配慮をしない、というのも「優しさ」だと思います。相手の症状や考えていることが分からないなら、「知識がなくてどのようなことか分からない」と率直に述べ、相手に説明を求めるのも「優しさ」だと思います。また、相手の要望が叶えられないなら、その旨を述べ、その理由を述べるのも「優しさ」だと思います。

また、「お互い様」という言葉も、その通りではあるのですが、危険な要素を持つ言葉ではあると思います。どのような危険かというと、自分の苦痛を他者が感じている苦痛と同程度のものにしようとする危険性(この罠にハマっている人が多数いるようにみえます)や、苦労をしている人も「仲間」がいることで救いになることや、類型化して訴えるほうが社会に対して届きやすいし理解を得やすいという事実を見過ごししまう危険性です。

類型化することの意味を述べますと、前提としては「お互いに優しくしよう」ということがあるのはもちろんです。そして、そのお互いに優しくするための一つの手段として、相手と自分は異なる性別であり、そのことによってこのような違いが生まれている可能性が高い、相手と自分は生まれ育った地域が違うから考え方にこのような違いがある可能性が高い、というような類型化に伴う知識の提供をし、「異なるものとして扱って欲しい」(=「優しくして欲しい」)と訴えることは意味のあることだと思います。

「ハンデがあるからやさしくされて当たり前」という考え方は不平不満が生まれる温床であるからして、「やさしくされたらラッキー」くらいに思っておけばいいのである。過剰な期待は大いなる絶望への引き金であることに早く気がついて欲しい。

おっしゃりたいことは分かる気がしますし、私も必要以上に「過剰な期待」を抱くことや、ハンディキャップがあることを伝えたり理解してもらう努力をせずに「配慮しろ。して当然だ」と主張することに対しては否定的です。

しかしながら、「自分のハンデを伝え、理解し、優しくして欲しいと訴えること」まで否定されるのでしたら、それは賛成できません。

現在日本で我々が当たり前のように享受している普通選挙権にしても、直接国税を15円以上納めている満25歳以上の男性に限られた制限選挙であったものが幾多の訴えによって現在の普通選挙になりました。訴えることを否定していてはこのような変化は望めないと思います。

また、このような変化が起きたのは、諸外国でも選挙というものが、人種、身分、財産、性別、学問、宗教等によって差別された制限選挙であったものが、日本より激しいと思われるフランス革命やアメリカの公民権運動を始めとする訴えによって普通選挙が実現されることになったのと無関係ではないと思います。

ある意味「座して死を待つ」というのは日本的な美学だと思います。しかしながら、私はあえて、足掻きたいですし、そうするべきものや場合やときがあると思っています。

相手に対して配慮を求めるためには情報を開示することが必要だと思ったからこそ、決して書きやすい話題ではなかったし、書くことが苦痛を伴わなかったわけでも、全く恥ずかしくなかったわけでもありませんが、自分の症状をブログで書きました。そして「こういう現象があることを知って欲しいし、女性は程度の差こそあれそのような症状を抱えている可能性の高いことを考慮して、その場合には女性には優しくして欲しい」と思いました。私としては過剰な期待ではないと思ってます。

また、私が訴えたからといって、私の要望を全てを叶えなければいけないわけではないと考えております。他者には他者なりの事情があることも承知しており、私が訴えたあとの判断は、社会なり皆さんなりがなさればよいことだと考えています。

管理人さんは長文で対抗しているようだが、こういう人にはひとこと「あ、興味ないんで。」と返すべき。時間の無駄だから。

最初にうまいこと言われて悔しかったので、「時間の無駄じゃなかったみたいですね」一言揚げ足をとらせてください。

そして、きっと、「このコメントは意見を伝えたいわけではなく文句を言いたいだけだから、意見を述べることに何の生産的な意味もない」ということが伝えたいのだと思います。同じような助言を他にも頂きました。しかし、私には当該コメントがそのようなコメントであるとは思えませんでした。また、そのようなコメントであったとしても、似たような反応は多かれ少なかれ受けるだろうなあ、と思っていたので、あえて長文で反論いたしました。

そもそも、私は少なくとも現在の日本は「和」ということを尊びすぎるあまり、お互いに意見を交わしたり苦言を呈すことを必要以上に避けているのではないかと思います。ここ一年半ほど、まともな社会人生活をしていないので、ブログについてしか言及することができないのですが、「和」を乱さないための「スルー力」ということが声高に叫ばれ過ぎているように思います。意見を述べることが必要な場合にさえ、「スルー」することが良く、カッコいいと思われ、そこで熱くなって反論することは、カッコ悪く、大人のすることではないと思われているように思います。

ただ単に言いがかりをつけるのが目的のような意見に対してまで議論を推奨したいわけではありませんが(否定したくもないですが)、本当に重要なのは「議論力」ではないかと思います。ブログを書いてる人とコメントをつける人の双方か片方に「議論力」がないために、お互いの主張の違いの源泉や妥協点を探っていくことができなかったり難しかったりするために「スルー力」という言葉が必要以上に氾濫しているのではないかと思っています。もっとも私の場合、明らかにスルー力は足りなく、これが通常の日本人レベルになれる日がくるとは思えません…。

日本の少なくとも大学ではもう少し議論の方法を教えてもいいような気がします。私もきちんとした議論ができるようになりたいと思っています。電通鬼十則の最後の文書が好きです。

摩擦を怖れるな! 摩擦は進歩の母、積極の肥料だ。でないと君は卑屈未練になる

蛇足ですが、

本気でこんなことを思ってるとしたら、「病院に行ったほうが」とコメントするしかない。

「病院に〜」というのは何度なく言われて、言われるたびに限りなく疲れて傷ついている言葉であるので意見を述べさせてください。

婦人科にはたくさんかかりましたが、それ以外にも本文で書いているように精神科を含めた多数の病院に行って「病的な異常はありません」や「そんなはずはないんだけどねー」と私の感じている症状を否定されるような応対ばかりされた人間にこの一言はかなりきつかったです。

どれくらいキツイかというと、「それならNEETになればいいじゃん」や(これは人道上本人しか言えないことだと思いますが)「現代で生きるのに適してないと思うから、死ねばいいじゃん」って言われるほうがよほどマシで思いやりや優しさを感じます。

病院行ったからって何でも苦痛がなくなるわけではありませんし、誰でも同じように現状に適応できるようになるわけでもありません。そこまで現代の医学は万能ではないですし個々人は違います。そして「病気」という言葉には暗に「治るものである」という意味が含まれていることがあるのでキツイことがあります。本人が望んでいるのならいいのですが、「あの人は病院に行ってる」=「治る努力をしている」という周囲の満足のために、医師はよくわからないながらも診察し、効き目があるのか不明な薬を処方し、そのために多額の保険の医療費が使われていることがあるのではないかと思います。

そもそも、西洋医学で、私の症状を「病気」扱いしてくれる医師がどこまでいるかすら疑問です。

ちなみに、私はこの手の人々を「こども教信者」と命名している。子供が生まれた途端に「こどもは素晴らしい」「人生観が変わります」「是非、あなたもこどもを!」と瞳孔開きっぱなしの目で訴えてくる姿は宗教にカブれた人そのものである。そのうち「こどもができたらガンが治りました!」とか言い始めるんじゃなかろうか。

何で「こども教信者」が出来ちゃうのかと私は考えてしまうのですが、そこで、私が思いついた仮説は「そこまでの自己正当化をはからなければないないほど、出産や育児から受ける苦痛は大きいのからだ」ということになっています。

だから、「こども教信者」は出産や育児に対してより負担の行きやすい女性に多いのだと思ってます。

なので、mimizukuさんが早期のコメントであって、かつ、男性であると思った段階で何か意図があるのかも、と思っていました。「そうではないなら、男性にここまで思わせるほどの出産や育児の負担っていったい!怖いよー!」とも思いました。

「こども教信者」が必要以上に生まれないように、もう少し社会が出産や育児に対して配慮してくれればいいのになあ、と思います。

以下に、訂正前のPMSのときに書かれた文書を資料のために残します。正直消したい気持ちがいっぱいなのですが、なにかの資料になればという気持ちとある程度の注目を集めた責任から残します。

「〜の一例」へのコメントを読んだ知人に「疲れているように思うんですが、大丈夫ですか?」と言われ、読書もできない状態だったのに、何故か「私はまだこの話題に関するエントリがきちんと書ける。ブログは双方向だから熱意が違うの。今書かないといけない気がする」という明らかな判断ミスのもとに書かれてアップされたエントリです。訂正版は、ある程度の反応を受けたうえでの後だしジャンケンではあるので比較も難しいですが、感情的な箇所、言葉の選びかたがおかしい箇所、説明不足な箇所などが資料になるかもしれません。「そもそも訂正版だって変だよ」というのは、ひとえに私の力不足です。

なお、まったく修正をいれる前の文書にしようかとも考えたのですが、修正を入れた後に受けたコメントもあるので、12月6日に訂正する前のバージョンを掲載することに致します。
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「女の子が子供を産むために払っている犠牲の一例」についてなんでかフラメンコ:[考察]「男は女にやさしくすべき」と考える不幸に取り上げていただきました。議論のようなことを望んでいる文書の書き方ではないと思うし、「ああ、そういう受け止め方の人もいるだろうなあ」と納得できるのですが、私が思ったことを書くのにちょうどいい題材だな、と思ったので取り上げさせてください。

(061204追記:本エントリを書いた目的は、orochonさんの文書を借りて、「女の子が子供を産むために払っている犠牲の一例」へのコメントに対する私の返信をある程度まとめたかった(スルー力についてはこのコメントに書いたのをもう少し詳しく書きたかったために取り上げられています)のと、「優しさ」について私なりの定義を示したかったことにあります。だから、大変分かりにくいのですが、この文書について議論を望んでいるわけではありません。冒頭での「病院〜」は、私が勝手にorochonさんはなんとなく私の言いたいことが分かったうえであえてあの文書を書いている気がして、親近感と優しさを感じていたのですが、あそこだけあまりにもそれからかけ離れた文書であると思ったので、感情が爆発してしまったようです。現在の処理能力ではこの文書を追記することくらいしか出来ませんが、処理能力が戻りましたら、このエントリをどうするか考えたいと思います。ただ、「PMSのときに感情的になり物事の分別が困難になる女性の心理状態のサンプル」としての価値はある気はするので、訂正するにしても原文が分かりやすい形での訂正をすると思います。また、私の症状は排卵痛や生理痛、その後の片頭痛も伴っているので「PMS」という言葉だけでは表現できないもののようで、医者には「適切な言葉が見つからない」と言われました。別エントリかこのエントリへの補足の形で紹介しようと思いますが、私以外の人が子宮と卵巣があるために受けている「PMS」以外の苦痛もたくさんあります。この点、誤解が多いようですので、あえて述べておきます)

「女の子が子供を産むために払っている犠牲の一例」より以下の文書が引用されていました。

以上が、現在、私が子供を産むための機能を維持するために払っていると思われる犠牲です。私の場合は平均よりかなりひどめだとは思いますが、大なり小なり女の子はこの手の犠牲を払っているので、「男の子は女の子に優しくすべし」と思ってます。

「女にやさしくする 余裕も無い奴は いつまでたっても 何もできないよ」

本当にそう思います。

「病院に行ったほうが」という感想が予想されるのでそれについて書いておくと、婦人科はいろんな病院に何度なく通っていつも「異常なし」との返答を頂いています。

ここが一番違和感を感じた人が多いところのようです。本文にも結構追記を入れましたので、そちらをお読みいただいてもよいかもしれません。私の文書がつたないため誤解を生む点も多いようですので、本文には頂いたコメントを参考に追記をいれさせて頂いています。本来ならこちらへのコメントの中でうまく紹介できればいいのでしょうが、現在、うまくまとめることができる頭脳の状態ではないので、簡単に訂正後の本文の引用ですませていただきます。

私の場合は平均よりかなりひどめだとは思いますが、大なり小なり女の子はこの手の犠牲を払っているので、平均よりひどい犠牲を払っている女性の一人として、私は「(女の子が子供を産むために払っている犠牲に関連する場合について)男の子は女の子に優しくすべし」と思ってます。

(中略)

(061130追記:無意識に前提をおいていたので、「(女の子が子供を産むために払っている犠牲に関連する場合について))」(←ここだけ061201追記、また削除して一番最後にうつした文書あり)と追記しました。ただ、「女性に月経がある」ということは、女性の人格形成にも多大な影響を及ぼしていると思いますので、その点も含めて配慮して欲しいです。「優しくする」前提には理解が不可欠だと思ってます。また、あえて本文では書かずここで書きますが、「男の子が女の子に優しくする」のなら、もちろん女性も役割や個体差を踏まえた上での逆の思いやりをすべきだと思ってます

(中略)
冒頭の「プラスッチック解体高校」で、上記台詞に続いてこういう台詞がありました。

「女にやさしくする 余裕も無い奴は いつまでたっても 何もできないよ」

一見暴論で一面的な見方ではありますが、この言葉は私の心にとても響きました。

私はこの部分がある意味もっとも主張したいところです。なので、なんでかフラメンコ:[考察]「男は女にやさしくすべき」と考える不幸の文書を取り上げて、コメントを書きたいと思います。「いい機会だなー」と思ったのと、見過ごしたくない発言もあったので、他のことも色々書いていています。ただ、それについては「色々考えるんだな」とおおらか目で見ていただけるとありがたいです。混乱が多いようなら別エントリにしたいと思います。(もともと別々のエントリで書くつもりだったテーマが良い感じで提供されたので、「まとめて書いたほうがいいかもー」と思ってエントリに対する返信ということでまとめて書いてみました)

本気でこんなことを思ってるとしたら、「病院に行ったほうが」とコメントするしかない。

婦人科にもたくさんかかりましたが、それ以外にも本文で書いているようにいろんな病院に行って「病的な異常はありません」や「そんなはずはないんだけどねー」と私の感じている症状を否定されるような応対ばかりされた人間にこの一言はかなりキツイです。

どれくらいキツイかというと、「それならNEETになればいいじゃん」や(これは人道上本人しか言えないことだと思いますが)「現代で生きるのに適してないと思うから、死ねばいいじゃん」って言われるほうがよほどマシで思いやりや優しさを感じます。

病院行ったからって何でも苦痛がなくなるわけではありません。そこまで現代の医学は万能ではないです。そして「病気」という言葉には暗に「治るものである」という意味が含まれていることがあるのでキツイことがあります。そもそも、私の症状を「病気」扱いしてくれる医師がどこまでいるかすら疑問です。

それでも「病院に行け」といいますか?私はそこに「お前の努力が足りない」という言葉がみえてしまいます。

この問題については私なりに努力もしたし、時間も費やしたし、勉強もしました。今もある程度はやっていますが、さすがにもう疲れました。そして、これは個性なんだと受け止めることにしました。

これ以上頑張れなんて言わないでください。

「女には生理とか排卵とかあるんだからやさしくしてよ!」といわれたところで、男は「シラネーヨ」としかいいようがないだろうし、「男だってムラムラしたときにすぐに出せるわけじゃないし、たまたま目の前にあった尻を触っただけで人生棒に振ることだってあるんだよ!棒のせいで!棒だけに!」と上手いことのひとつも言いたくなると思う。

かなり上手いですね(笑)

でも、人間の女性という生命体が子供を産むという機能を維持するために、個々の女性が払っている代償は、平均的に考えて、男性が生殖機能を維持するために払っている代償より大きい、という事実から目をそらさないでください。

問題を変えると分かりやすいと思うのであえて極端な例を出してみます。また、「優しい」という言葉が誤解を生むようなので「配慮」と言い換えてみます。ただ、私は「優しい」という言葉の語感が好きです。

おっしゃっていることは、身近に、分かりやすい障害をもっている人がいたとして「『障害をもってるから配慮して欲しい』?そんなこと言われてもシラネーヨ。俺だって分かりやすい障害をもつがゆえに出来なくても許されることがあるお前らには分からない苦労をしてるんだよ」と言ったり、先天性の病気にかかっている人に対して「『先天性の病気にかかってるから配慮して欲しい』?そんなこと言われてもシラネーヨ。俺だって病気という言い訳の使えないお前らには分からない苦労をしてるんだよ」と言うのと同じことだと思います。

そういう側面があるのは否定しませんが、だからといってその「目に見える障害」の人や「先天性の病気」の人を理解することを拒むのはやめて欲しいと思ってます。

人類の半分近くは女性だと思います。その人たちが抱えているかもしれない苦しみに対して、「知らないよ」なんて言わずに知ってみて考えてみて欲しいです。もちろん、その苦痛をもった女性と同じだけわかるとは思いません。同じ女性でもわからないでしょう。夫だって私の苦痛を心底分かってはいないでしょう。

でも、分かろうとすることに意味があるのだと思います。私も男性のことはどうしても分からないので、一生懸命分かろうとしているつもりです。だから、「男にも大変なことがあるよ」という発言はとても意味のあることだと思います。ただ、子供を産む機能のために払っている犠牲ということにフォーカスした場合に、その苦痛の大きさは平均すると男性のほうが軽度である、としか私には今のところ思えませんので、そう主張します。

確かに男に生理痛はないだろうが、生理休暇を取った女のせいで残業させられるハメになることもあるだろう。そんなこたあ、お互い様なんである。

「生理休暇を取った女のせいで残業させられるハメになる」ことに対して、その女性を必要以上に責めないことが、私がここでいいたい「優しさ」です。生理で休むことが明らかなのに、まったく引き継ぎを考えてない仕事の仕方をしていたら、そういうことは責めるべきだとは思うのですが、「生理で休まざるを得ない」ということを責めない、という思いやりが「優しさ」だと思います。

「優しい」ということは「他人を思いやっていること」だと思ってます。そして、他人の要望をただ聞くだけが本当に他人を思いやっていることになるわけではありません。あなたの行動にまったく苦言を呈さない友人はあなたに対して「優しく」はないと思っています。相手のいうことを唯々諾々と聞くことは、実は言われる本人とっては精神的にひどく楽です。相手のことを慮らなくていいですし、それでうまくいかなかったときは「お前が言った通りにやってやったのに!」と相手のせいにすればいいだけですから。

マネジメントで考えると分かりやすいです。部下の要望だけを聞いて、部下の今後どうあるべきかということや、それが部下の特性を考えたうえで部下にとっての最適な仕事であるかということや、現在部下にかかっている負荷は部下にとって最適なものであるかどうかをを考えずに、「お前の望み通りしてやったのに何が不満なんだ」という上司は、まったくマネジメントということができていないと思っています。「優しい」や「思いやり」を勘違いしている例だと思っています。

また、製品作りでよく言われる「ニーズをウォンツの違い」ということも、それだと思っています。消費者の要望する機能である「ニーズ」をどんどん満たしていくことのみで、真に消費者が求める、消費者に優しい製品は出来上がりません。「ニーズ」の底にある、多くの消費者が意識もしていないような「ウォンツ」を満たす製品を作ろうとしてこそ、真に消費者が求める、消費者優しい製品を作れると思います。

また、「お互い様」という言葉は思いやりがあるようでいて、自分の苦痛を他者が感じている苦痛を同程度のものにしようとする危険性(この罠にハマっている人が多数いるようにみえます)や、類型化して訴えるほうが社会に対して届きやすいし理解を得やすいし、苦労をしている人も「仲間」がいることで救いになる、という事実を見過ごししまう危険性を抱いていると思っています。

「ハンデがあるからやさしくされて当たり前」という考え方は不平不満が生まれる温床であるからして、「やさしくされたらラッキー」くらいに思っておけばいいのである。過剰な期待は大いなる絶望への引き金であることに早く気がついて欲しい。

おっしゃりたいことは分かる気がしますし、私も「過剰な期待」を抱くことや、ハンディキャップがあることを伝えたり理解してもらう努力をせずに「配慮しろ。して当然だ」と主張することに対しては否定的です。

しかしながら、自分の場合を例にあげて説明した後、私はひどいほうだと思うけど、ここまででなくとも平均すると子供を産むという機能を維持するために女性は男性より苦労しているのだから、男性はそのことを前提に、女性に相対するときには「女性全体に対して、そういう可能性が高いことを踏まえて」思いやりをもって振る舞うべきだ、と程度のひどい苦痛を受けた女性である私が述べることが「過剰な期待」を抱いているように思えるでしょうか。むしろ過剰な期待を頂いていないからこそ訴えているのだと思っています。また、伝える努力もしないまま「配慮しろ。して当然だ」と主張してもいないと思っています。

そもそも「女性」は人口の半分を占めているわけで、一番分かりやすいハンディキャップの一例ではないでしょうか。その女性の多くが抱えている可能性が高いであろう苦痛を思いやれないのなら、いわんや、自分の身近にいる可能性が少ない他の弱者に対してをや、と思います。

日本では「議論する」という文化があまりないのか主張をすると極端にいきがちで、私が色々書いた後に、それをふまえたつもりで「男の子は女の子に優しくすべし」と私が思っている、と書いても、「男はすべていついかなるときでも女を優先すべき」と読めてしまってそこに反発を感じてしまって、「そんなの全部個別具体的に考えない意味ないよ」という反論に繋がってしまいがちのようです。

真実はその間にあると思うし、そこを模索していくのが議論というものだと思っています。

といいつつも、矛盾するようですが、「(女の子が子供を産むために払っている犠牲に関連する場合について)男の子は女の子に優しくすべし」というのは、今まで生きてきた私の経験から産まれた私の価値観であるようで、お話を伺っても「そういう価値観もあると思います」で終わらせるべきであることが多いようです。なので、新しい視点が出てこなかったり、出て来たとしても私の読解力や文書力や議論力が足りなくて、その視点を理解して意見を述べるのにウェブでは言葉が尽くせない場合も多く、これ以上の議論はあまり私がブログで議論するに適したものではないと思っています。私が思う「優しさ」という言葉と読まれるかたの想定していらっしゃる「優しさ」という言葉の定義の違いや、私があえて一面しか述べていないことから、話に齟齬が産まれている要素が多いと思っていて、努力はしてみたいのですが、これ以上言葉を尽くすことは現時点では私には能力的にできそうにありません。

管理人さんは長文で対抗しているようだが、こういう人にはひとこと「あ、興味ないんで。」と返すべき。時間の無駄だから。

うまいこと言われて悔しかったので、最初に「時間の無駄じゃなかったみたいですね」一言揚げ足をとらせてください。

そして、きっと、「スルー力が足りない」ということが伝えたいのだと思いますが、私は今日本人というか日本のブログ界に必要なのはスルー力ではなく、「きちんとした議論をする力」だと思ってます。

「宗教だ」「2chのやつが言っている」「子供が言っている」「昔に主張があったことと同じことを言ってるだけだ」「誘導しようとしている」「誤解を招く表現だ」「漫画やゲームごときで」、そんな言葉で相手の主張すべてを排斥しようとすることに何の意味があるのでしょう。

相手が属している世界や属性や媒体や論の進め方と、相手の主張したいこととの当否は関連性はあると思うものの別個の問題として扱うべきです。そして、自分が感じた違和感について、「この点は納得出来るが、この点はおかしいと思う。なぜなら、自分はこう思うからだ。あなたはどう思うか」と問いかけて、「相手はなぜこういう考え方をもつに至ったのか。自分と相手の考え方の違いの源泉はどこにあるのか。妥協点はどこか」ということを探るべきだと思っています。そして、それこそが議論だし今の日本のブログ界に必要なものだと思っています。

もちろん、このような議論が通じないときには、スルーすることも必要悪だと思うし精神の安定に重要だと思うんですが、当該コメントがそのようなコメントであるとは私には思えませんでしたし、そのようなコメントであったとしても、似たような反応は多かれ少なかれ受けるだろうなあ、と思っていたので、あえて長文で反論いたしました。

キツイ口調なのは、説明が難しいのですが「あそこではキツイ口調であることに意味がある」と思ったからです。あそこで柔らかな口調で返すことでは伝わらないものがあると思っています。

蛇足ですが、

ちなみに、私はこの手の人々を「こども教信者」と命名している。子供が生まれた途端に「こどもは素晴らしい」「人生観が変わります」「是非、あなたもこどもを!」と瞳孔開きっぱなしの目で訴えてくる姿は宗教にカブれた人そのものである。そのうち「こどもができたらガンが治りました!」とか言い始めるんじゃなかろうか。

何で「こども教信者」が出来ちゃうのかと私は考えてしまうのですが、そこで、私が思いついた仮説は「そこまでの自己正当化をはからなければないないほど、出産や育児から受ける苦痛は大きいのからだ」ということになっています。

だから、「こども教信者」は出産や育児に対してより負担の行きやすい女性に多いのだと思ってます。

なので、mimizukuさんが早期のコメントであって、かつ、男性であると思った段階で「釣り」かもね、と思っていました。「そうではないなら、男性にここまで思わせるほどの出産や育児の負担っていったい!怖いよー!」とも思いました。

「こども教信者」が必要以上に生まれないように、もう少し社会が出産や育児に対して配慮してくれればいいのになあ、と思います。

(061201追記)配慮の足りない箇所があったので、コメントを受け元文書からの引用をいれたり文書の手直しをしました。これでよいのかわかりません。おかしいと思う箇所があったらまたご指摘いただけると嬉しいです。自分では時間をかけて、配慮して書いているつもりだったのですが、結構穴があったようで悲しいです。また、今は生理前なので、かなり攻撃的だったり、イタかったりする箇所が多いのかもしれません。「生理前の女性が書く文書」の例だと思っていただけると嬉しいです。これ以上、生理前の状態で長文を書くのは良くないと思ったので、落ち着くまで簡単なコメント以外は返せないと思います。ご了承ください。

(061202追記)追記した箇所を明記すべきだと思いましたので、明記します。追記した箇所は取り消し線で消した「本文にも結構追記を入れましたので、そちらをお読みいただいてもよいかもしれません。」以後、引用最後までと、「いい機会だなー」の段落最後までです。

また、元文書を少し改変した(改変履歴は元文書をご覧ください)ので、その点を反映した引用にしました。「男も大変なんだよ」という訴えが多く、私はどちらが人生において大変かについて述べたいわけではないので、上記引用中の「あえて本文では書かずここで書きますが、『男の子が女の子に優しくする』のなら、もちろん女性も役割や個体差を踏まえた上での逆の思いやりをすべきだと思ってます」を太字にしました。

それから、「私がこの問題についてこれ以上の議論を望んでいる」と読めるような書き方をしていました。しかし、「議論は重要だと思うけど、私がこの問題についてこれ以上議論を望んでいるかどうかは別問題」のつもりでした。ので、「といいつつも、矛盾するようですが〜」からの一文を追加しました。また、しごく当たり前ですが、私が「議論力が重要だと思う」と書いたことと、「私に十分な議論力がある」ということは別問題だと思っています。

この文書を通じていえることですが、このような現象はひとえに私の感情的になりがちなところや、うまく分離できないところや、まとめ力や文書力の足りなさが原因です。それが女性的と言われればそうなんだろうなあ、と思います。もっとも「女性らしいこと」と「理系であること」は矛盾することではないし、共存可能なことだと思っています。

はてなブックマークのxevraさんの指摘にあった「『女性の中には毎月かなり辛い状況になる人がいるという情報』と『弱者を優しく扱うのはモラルだ』は別の次元の話」というのは確かにその通りで現在のところ文書でも感情でも分離できていない自分に至らなさを感じます。

…生理が終わったら、もう少し冷静になって色々分離可能になると信じたいです。

投稿者 michy : 22:08 | コメント (42) | トラックバック | バトン、思いつき、妄想 |    



2006年11月30日

何で女性が生理関係の予定を伝えないことが多いか ブックマークに追加する

これも私の勝手な研究の成果ですが、「なぜ、女性が自分の生理周期や苦痛を男性に伝えることをためらうのか」については以下のような理由があると思っています。

排卵や生理の周期は一定ではない
事前に申告しても体調によって変わったりします。ほとんどの女性の場合、自己コントロールは及びません。(一人自己コントロールができる女性の話を聞いたことがありますが、少数の例外だと思ってます。でも人類はこの方向に進化するのかなー、と思います)

男性雑誌を私が適当に調査した結果や、私が生理前に「早く生理が来ればいいのに」と愚痴ったら「どうにかして生理を早くする方法はないの?」と言われ、「あるならやってるよ!」と思ってすごく傷ついた経験からすると、男性は「生理周期が一定していない」ということや「生理がコントロールできないものである」ということがあまり理解できないようです。(生理のコントロールができる方法はありますが、記憶によると、それほど確かではありませんし二ヶ月ほど前からやらないといけないし、私が婦人科で聞いていたところ「吐くかもしれないけど、それでも飲まないと生理の周期はずれないから、と前の患者さんに伝えて」と医師が言っていて、「ひえー」と思いました)

なので、この「自己コントロールが及ばず体調で変化する」ということを理解してもらうだけで、紆余曲折があるのではないか、と思っていて、それが躊躇させる一因だろうなあ、と思います。

そもそも生理は女性にとっても恥ずかしい
「排泄行為」や「性に関する行為」って少なくとも今の日本では表明することは「恥ずかしい」という文化があると思っています。オナラをしたことは恥ずかしいと思われるでしょうし、尿や便の話もあまり触れて良い話だという教育をされていないので、そういう話をする方も「恥ずかしい」と思ってしまいがちです。

性についても、男性は女性にいわゆる「溜まる」ということについて説明するのは恥ずかしくありませんか?(そこにあえて快感を感じる!という人もいるのかもしれませんし、下手をするとセクハラになると思うので難しい問題ですが)

女性もそれと同じで、生理というのは隠したいものだし、恥ずかしいものだと思っているし、そう教育されることが多いです。だから、「これは言わないといけないことだ」と思っても恥ずかし、「言ってはいけないことではないのか」と思っていたりするので言葉にするまでは心理的障壁があります。

今まで受けて来た扱い
女子校ですら「今生理痛でツライ」と言っても理解してくれない女生徒や女性教師がいます。

友人は会社すごくツラそうにしていてら男性に「大丈夫?」と声をかけられたので、「生理痛なんです」と言ったら「そんなことを言われても」という反応されたそうです。そして、「男の人にそういうことって言わない方がいいのかな?」と悩んでいました。

私も、「私の体調予報をみんなに伝えようと思うんです」と先輩に相談してみたら、「それはやめたほうがいいと思う」と言われたりもしました。(「体調予報」という言葉が悪かったのかもしれないし、そもそもこれは先輩が周知させることに対して否定的であったわけではなく、他の人が拒否反応だけ示すから意味が無い、と思ったのだと思ってますが)

男性の精神科の医師でも「ストレスで悪化する」というあたりがまったく理解できない人はいて「それはPMSでしょ!違う病気でしょ。婦人科に行ってください」と言われて涙が出そうになったことがあります。

女性はこういう無理解に対して諦めているところがあります。

男性には分からないということが分からない
「男性は女性の生理に伴う苦痛が分からない」ということに関連するのですが、女性は「生理に対して男性の知識がないことや、生理のときの気持ちがわからない」ということが分からないことが多いです。

この辺は両者積極的に歩みよって欲しいなーと思ったりします。といいつつ、実は私もまだまだよく分かってません。

そもそも自分も分かっていない
周りからみてると「うわ、あれは生理前に違いない」と結構分かったりするのですが、本人は気付いていなくていつも通りだと思っているときがあります。自分が不調であるという感覚に気付くのは難しいです。

これが行き過ぎると、疲れて鬱や仮面鬱の状態になると思っています。

過剰適応
同僚が、生理の周期など伝えずとも、生理休暇などとらずともきちんと仕事をこなしていて、「体調を整えられないのは社会人として失格だ」「生理毎で休むなんて」という言葉を何回か聞いたり、それとなく感じたりしていると、「あれ?生理で休むほどツライなんて私が悪いのかな?努力が足りないのかな?」といった考え方に陥りがちです。

…私は結構この考え方に陥っていて色々努力しました。しかし、やっと「努力が足りないんじゃなくて人は、やっぱり一人一人違うんだね」という考え方に落ち着きました。ここまでいかないと生理の周期を表明するに至ることは難しいと思います。

「風邪をひくなんて自己コントロールが足りない証拠だ」という言葉にも、ある程度この現象が当てはまると思ってます。予防はできると思うので、ある程度の予防はすべきだと思いますが、免疫力って生まれつき違ったりする部分も多いし、風邪に対する耐性も人によって違うので、どれほど努力しても休まないといけない人はいると思うのですが、この言葉はそういう人のことを無視していると思ってます。

以上をもとに「女の子が子供を産むために払っている犠牲の一例」に頂いたgreedさんのコメントに対してお返事してみたいと思います。

(前略)
あと、最近女性と一緒に働き始めたのですが、こういう生理関係のスケジュールを教えてもらえないので、仕事の予定が組みにくいですね。
いつ排卵だから負荷を調整しようとしても女性の方って言わないですもんね。

じっと耐えて、こういう愚痴を抱えられると一緒に働く身としては「勝手にしろ」って思っちゃいますね。

その女性がどういう風に生理関係のスケジュールを教えないのか、職場としてどういうアプローチをとっているのか、greedさんの立場はどういう立場か、女性はどんな風に愚痴をいったのか、で私の感想は変わるのですが勝手に想像してコメントしてみます。

greedさんのお気持ちはわかるつもりです。ただ、その女性のことも考えてみてください。

その女性が言わないのは、上記にあるような理由がいくつか複合された「言えない雰囲気」があるからではないでしょうか。この「言える雰囲気」をつくるのは、ものすごく難しいと思っています。部下が不満や改善点を率直に言える組織ってそれだけで素晴らしいし、そんな組織を作ることができればそれだけで、その会社の生産性なんて簡単にあがると思ってます。

上記のような事象を一つ一つを覆すようなアプローチを、職場全体でとって言える雰囲気を作っていかないと、よほど覚悟のある女性ではないと発言できないと思います。私のエントリに対するバッシングの多さをみても、それを言うことがどれほど勇気のいることかお分かりいただけるのではないでしょうか。

「言える雰囲気」でないなら女性も言えないし、「じっと耐えて愚痴を抱える」ことになると思います。

投稿者 michy : 06:43 | コメント (11) | トラックバック | 健康、医療 |    

全ての人対して誤解を産まずに、それでいて多くの人に読んでもらえる文書なんて書けない ブックマークに追加する

書ける人はいるのかもしれません。ただ、私は未だそのような文書を見たことがありません。

そもそも「全ての人に誤解を与えない文書」というものと、「読んでもらえる文書」というのは相反する要素だと思っています。「誤解をできるだけ少なくしよう」とした文書の例が、ターミノロジー(その専門分野において使われる言葉で定義された言葉だと思っているのですが、解釈が違っていたら申し訳ないです)を多く使った学術文書や、法律などだと思うのですが、あれを読みやすいと思える人がどれだけいるでしょうか。ターミノロジーなどを使わずに、すべてのことを考慮してわかりやすくなどと考えると、文書はとても冗長になって、気骨のある人しか読めなくなるでしょう。

「読んでもらえる文書」ということにフォーカスすると、分かりやすい口調で書いたり、具体的で分かりやすい事例を持ち出す必要が出てきます。ある程度、論理を端折って短くしないと、読む側の負担になるので、どうしても論理を飛ばし気味になったりもします。よく「釣られた…」という言い方をすることがありますが、最初に極論を言って注意をひいたり、露悪的に振る舞ったりすると、読んでくれる人の絶対数を増やすことができます。

この二つはかなり切ない関係だと思ってます。この「切ない関係」を高次元で融合出来る人って、本当なかなかいないです。ものすごくその伝えたいことに詳しくて洞察があって、他の事象科目にも詳しい、いわゆるティーチングに向いてる人ってこういうことが高次元でできる人だろうなあ、と思います。

私は、この二つを高次元で融合できる人間でありたい、と思いますが、なかなか難しいです。また、この二つを「高次元で融合」することはできても、両方の欲求を完璧にいっぺんに満たすのは、もうほとんど不可能といっていいと思っています。

だから、私の文書を読んで理解できない人や反発を覚える人がいても、ある程度は仕方ないなあ、と思ってます。そして、私の文書に対して「両方に対して完璧であれ」という要求はして欲しくない、と思ってます。「こうなれば良かったかも」という指摘は本当に有り難いのですが、多くの人に物事を伝えたいと思ったときに、あえてそのように書く場合があることや、この切ない関係を「完璧」に満足させることなど出来ないことについてご留意いただければと思います。

投稿者 michy : 05:10 | コメント (2) | トラックバック | バトン、思いつき、妄想 |    

2006年11月28日

貸しマクラ ブックマークに追加する

夫は「突っ伏せて眠る」ということはできても、前に机のない状態で座りながら眠る、ということができません。

F1観戦のときも「眠いし疲れもひどいからフリー走行と予選の間に休息をとらなくては!」と思っていたらしいもののの、背もたれも何もないところでは眠れないとのことで、強引に人の居ない間を狙って横になっていました。

私はあぐらでそのまま眠れるので省スペースで眠っていました。私はこの「座りながら眠る」というのは、中高時代に培うべき技術で仕事中にも応用の効く技術だというのが持論で、「それは男子校の文化を考えると〜」という夫といつも議論になります。

ラーメン屋への旅でも議論を繰り返していました。

私「この重要な技術を中高時代に培っていないのは間違ってるよ!」

夫「いや、僕は中高時代、『真面目に眠って』たんだよ。ちゃんと枕持参で」

私「それは美学を分かっていない。先生に見つからないように眠ることに意義があるんだよ。夫が変なんだよ」

夫「男子校では先生のことなんか気にせずに眠るのが普通なんだよ!」

私「えーえーえー!それは夫の学校が普通じゃないんだよ」

しかし、私の反論むなしく、男子校出身の同乗者へのリサーチにより、「男子校で生徒が先生のことなど気にせず眠るのは普通」という夫の持論への裏付けが得られてしまいました。

夫「そもそも、うちの学校だと『貸しマクラ』というシステムがあって、授業中に『枕とってー』っていうと、後ろから枕が回ってくるような学校だったの。もちろん、派手にそういうことをやるのはつまらない授業のときだよ」

男子校出身の同乗者も「貸しマクラ制度作っているヤツがいてもおかしくないかも」と言って、またも夫の持論が裏付けられてしまいましたが、私は反論します。

私「そもそも、その『貸しマクラ』というシステムがおかしいよね。みんなが眠りたいのってつまらない授業なわけじゃない?そうすると、みんなが枕の奪い合いになるわけでしょ?共有じゃなくて個人で持つべきだと思うんだけど」

夫「いや、つまらない授業の過ごし方っていうのも色々あるんだよ!たとえば、床で将棋を指すとか、ゲームボーイをプレイするとか」

私「ああ、なるほど!」

そこで眠るっていう選択肢を選んだ人が貸しマクラを使うわけだね。「貸しマクラ」制度の意義がやっと腑に落ちたよ、と思ったら、今まで夫婦の会話を突っ込み一つせずに聞いていた同乗者の一人が思わずこう言いました。

同乗者「そこはなるほどじゃない!」

「思わず言ってしまった」という同乗者がおもしろかったです。

私たち夫婦の会話は、なかなか変で、おもしろい人にはおもしろいらしいのですが、私にはあまり自覚がありません。「何でなの?」と聞かれたときは、「関西人だから」と適当に答えていたら、関西出身の友人にも似たような評価をもらって「これはどういうことだろう」と思いました。

でも、やっぱりうつぶせじゃなく、背もたれにもたれなくても、眠る技術は必須だと思うんです。Life hackなのかどうか知らないですが。それに、私の場合は高確率でうつぶせに眠ると20分を超えたあたりで足がしびれるんですが、そんなことはないですか?

投稿者 michy : 11:35 | コメント (8) | トラックバック | 日常 > 2006年 |    

時代がすべてを変える ブックマークに追加する

この間、夫の同僚たちと、私の愛しのラーメン屋に向かいました。

そのラーメン屋は車でないといけないところにあります。夫婦して愛しており、夫がよく私になんとかして自動車を買う気になってもらうとするときに「自動車があればいつでもあのラーメン屋にいけるんだよ」と言っています。一度自転車で行ったのですが、あまりの段差に死ぬかと思った経験があります。私はそのたびに悩むものの「車を買うとかなりのお金がかかるから、それならタクシー飛ばせばいいんじゃないか」となり、その後「タクシー使うなんてもったいないよね。運転が悪いと酔うし」と思って行かずに終わっていました。

今回はたぶん4年ぶりくらいです。すっごく嬉しいです。道中はどうでもいいネタで盛り上がりました。その中から一つをピックアップです。

同乗者の一人が都内で細い道を通っていたら、いきなり警官がいて「え?もしかして一方通行だったの?」と思って青くなった、という話題を提供してくれました。ひとしきり盛り上がりました。

私「車の運転って難しいんですねー。私は『一方通行は逆走できない車を作れ』って思いますねー」(この手の話題のたびに何度も書きますが、国は私に運転免許を与えています)

同乗者たち「…」

夫「いや、妻は本当に運転できないんですよ。たぶん、標識が見えてないと思います」

私「うん。運転しながらなんて見えるわけないじゃん。私にそんな処理能力ないよ。とにかく目的地まで標識を守って自動的に運転してくれる車が欲しいなあ」

同乗者「…それは何で実現するかって問題がありますねー。カーナビで実現するのか、標識に埋め込むのか」

私「私としてはカーナビで実現するのが好きなんですけどね」

同乗者「そうすると、カーナビにない道を通ったときに問題なんですよね」

私「それは分かってるんですけど、カーナビで実現するのが私は好きなんですよー」

夫「そのやり取りを聞きながら、僕は『そんなのどっちも使うに決まってるだろ』と思ってるんだけどね」

私「いや、そんなことは分かってるよ。私が言いたいのは、最後の『キメ』の問題だよ」

同乗者「…それは新しい道や標識が出来るたびにデータをアップデートしなきゃいけなくなっちゃうじゃないですか」

私「そうですね。でも、私はそれが好きなんです」

同乗者「それだともう『アップデートしない場合は使えない』っていう強制アップデートしか道はないんじゃ…」

私「いや、時代は強制アップデートだと思いますよ

同乗者・夫「時代ですか!」

私「うん。何がいいかってことを決めるのは時代ですよ。価値観や良いものなんて時代によって変わっていくものです。だから、法律も時代によって変わるし、変わるべきなんです」

夫「…いいことを言ってる気がするのに、違和感を感じるのはどうしてなんだろう。日頃の言動のせいなんだろうか」

その後、「夫の違和感の原因はなぜか」ということを巡って議論を繰り広げようと思ったら、最初はそれなりに相手をしていてくれたものの、夫にとってはどうでもいいことだったようで「勝手に納得してくれればいいから」と相手にしてもらえなくなりました。ガーン。

なので、ここで考察します。最初は、夫が旧来の価値観を大事にする人で、私がそれにあまりとらわれないからかなあ、と思ったのですが、夫に反論されました。そして、「うーん、確かに夫のほうが私よりアーリーアダプターなところもあるなあ。それに違和感の源泉はそこではない気がする」と思いました。

で、夫は旧来の価値観と現在の価値観の橋渡しをしようと頑張ってる人だけど、私はあんまりそういう悩みをもってないから、そこに違いがあるのかなー、と思いました。

なんていうか、夫は、普通の人であろうとしているけど、私はもうその努力は捨てた、という違いかなー、と思いました。

普通の女の子っぽくしようと頑張ってた頃もあるんですけど、もうどうでもいいです。必要な付き合いで相手が不快にならないようには振る舞いたいとは思いますが、私が「普通の女の子」じゃないからって去って行く人がいるのなら、その人とは縁がなかったってことでいいやー、と思います。

投稿者 michy : 10:21 | コメント (0) | トラックバック | 日常 > 2006年 |    

女の子が子供を産むために払っている犠牲の一例 ブックマークに追加する

プラスチック解体高校
日本橋 ヨヲコ

「プラスチック解体高校」で主人公が「じゃあ お前は 何ができるんだよっ!」と問われて、「惚れた男の子どもが産める!」と答える場面があります。すっごいいい台詞だなー、と思うんですが、それに関して女の子が甘受していることに関する言説はあんまりみないなー、と思いました。

また、「女性の扱いうまいよなー」と思っていた彼女持ち男性から、女性が子供を産む機能を維持するために払っている犠牲であると思われる現象に対して「そういうもんなの?」的な質問を受けることが多く、「え?今まで彼女の訴えはどう思ってたの?私の知る限り彼女は程度がひどい部類なんですが…」と衝撃を受けることがありました。私が聞きやすいタイプなので、本当に疑問に思って、悪気無く聞かれていると思うだけにびっくりです。

これは情報の少なさが原因に違いない!そもそも女性とパートナー関係を維持しようとか女性をマネジメントしようというなら不可欠な知識なのに!と思ったので、私の場合+αを書き出してみます。女性がこの手のことを述べることが、「逃げ」や「恥ずかしい」ことと捉えられる時代が終わってくれたら、と心底思います。生物的に女性と男性は違うんだから、そこから目をそらすようなマネジメントやコミュニケーションは間違っていると思っています。

もちろん、個人差はあって、私よりひどい人も私より楽な人もいると思います。なまじ楽な女性だと「生理痛で会社休むなんて甘えだ」って思っちゃったり言っちゃうことがあるようですが、何事も個人差はあるのです。そんな私は数式を美しいと思わない人がいることや、独学が集団学習に比べて著しく低い効率しかもたらさない人がいることを、事実としては理解しているつもりでも直感的にまったく理解できません。

排卵前片頭痛
排卵前には一時期ホルモンバランスが乱れるからか、片頭痛が発生します。身体も少しだるく、疲れやすくなります。片頭痛は三日ほど続き、排卵前と思われる日は、痛み止めのイブ(私の場合は処方薬のロキソニンとたいして効き目が変わらないので、こっちを使ってます)もレルパックスも効きません。ベッドから起き上がるのも困難で、「酒をくれ。モルヒネくれ」と思いながら耐えてます。片頭痛にともなう吐き気もして、物を食べる気にはなりません。

排卵痛
排卵のあたりで、卵巣のあたりが差し込むような激しい痛みにおそわれます。1〜2日続きます。ひどい激痛なので片頭痛も誘発されます。とにかく痛くて動けません。イブではマシになるものの、動けるようにはなりません。こちらもベッドから起き上がるのも困難です。

月経前緊張症(PMS)
排卵痛が終わったあたりから日に日に身体がだるく重くなり始めます。頭の回転も鈍ってきますし、ストレス耐性が大幅に下がります。ものすごく感情的になり、些細なことでイライラするようになります。「排卵前なんて全然耐えられるよ」と思うくらい、こちらの程度はひどく長引くうえに、日に日にひどくなります。

私が男性雑誌を適当に読む限り、男性は「女性がイライラするのは生理のときだ」と思っているように思うのですが、私の適当な調査によると女性がイライラするのは生理前がピークであることが多いです。生理のときは痛いんですが、憑き物がとれた感じで気分的にはものすごくマシです。

身体のだるい感じと、頭の回転が鈍る感じと、ストレス耐性が下がる感じをどうにか表現しようとしたのですが、なんとも表現できません。38度くらい熱が出れば、それは確かにしんどいのですが、私の場合は月経前緊張症のひどい時期よりはよほどマシです…。徹夜明けなんかも頭の回転は鈍りますが、「あれはまだ理性が残ってるなー」と思います。

身体のだるい感じは、身体すべてに重りがついていて感覚が鈍麻しているような感じを受けます。ものを落としそうなので怖くて料理ができないし、家の中を歩くだけで「はー」とため息をついてしまいます。無理して料理をしたら、手をざっくり切って縫うはめに陥りました。

頭の回転も明らかに鈍ります。昔、司法試験の勉強をしていた頃は、点数にして60点満点中5点ほど、偏差値にすると10や20くらい簡単に落ちるので困っていました。今はあの頃よりよほどひどいと思います。生理前に精一杯考えて書いた仕事メールでも、後で見返すと「何を考えていたのか?」と思うことが多いです。

ストレス耐性は1/10くらいになってるんじゃないかと思います。理性がなくなります。夫のちょっとした一言にものすごく傷つきます。「今が冷静ではない」ということが理解できないくらいになります。生理が終わると「何であんなことで?」と思うことが多いです。自分が自分でない感じとでもいうのでしょうか。

四日前くらいあたりから吐き気もひどくなり始めます。何も食べる気はしないし、食べ物をみるのが苦痛なので料理をする気もしません。だいたいここまでの話をすると「子供ができたんじゃ?」という反応をされます。出産のために備えるプロゲストロンというホルモンの影響だと思われるので、同じような現象が出るのかなーと思います。ものがほとんど食べれないため、この時期の体重は減少しているように思います。(普通、生理前は体重が増えると思うので謎…)

だいたいの女性は生理前一週間でPMSを意識するらしいのですが、私は排卵痛が終わったあたりから既に体調の悪さを感じてしまいます。

ストレス耐性が低いので「部屋の片付けをする」などの些細なことでも片頭痛は誘発される危険性が高いのですが、そうでなくとも生理の直前は必ず片頭痛が起きます。二日か一日前から寝たきりのようになり、イブもレルパックスも効かず、「モールーヒーネー。あーるーこーるー。何でもいいから意識飛ばしたい〜。強い睡眠薬くれーー」と思いながら横になってます。精神的にも参ってるので、この時期は「こんな苦痛に耐えてまで生きる意味ってあるのかな」とよく思います。

月経
月経痛は、排卵痛ほどではないのですが普通に痛いです。鈍痛でうっとうしく、耐えたくない感じです。私の場合は三日ほど続いて二日目が一番ひどいです。痛み止めが効くことが多いです。また、起立性の貧血がひどくなり、立ちくらみが頻繁になったり、「絶対に足や手に血液が通っていないだろう」と思ったりします。

月経になると、憑き物が落ちた感じはするものの、二日目あたりまではPMSの影響の身体のだるさ、頭の回転の鈍さ、ストレス耐性の低さを引きずる気がします。

月経終わり頃
ホルモンバランスの関係なのか、月経の終わり頃にも片頭痛におそわれます。こちらは痛み止めが効きます。ほぼ三日続きます。

これらの現象はストレスで容易に悪化します。仕事で疲れてるときや精神的に参ってるときはもっとひどいです。

以上が、現在、私が子供を産むための機能を維持するために払っていると思われる犠牲です。

現在はこのような状態ですが、幼い頃はだいぶ違いました。ものの本を読んでも年齢によって変化するもののようです。女性は初潮の始まる11才頃から(現在はもっと低年齢化している話も聞きますが、よくわかりません)閉経を迎える50歳頃まで、妊娠しているときやあまりに体調が悪くて身体が月経を行えない場合を除いて、毎月このような現象におそわれます。そして、「いつやってくるか」というのは、ある程度予測がついても実際のところわからないことが多いです。ストレス等で容易に月経のリズムは変わります。(「1時間ほどしか変わらない」という女性も知っていますが)

私の場合は平均よりかなりひどめだとは思いますが、大なり小なり女の子はこの手の犠牲を払っているので、平均よりひどい犠牲を払っている女性の一人として、私は「(女の子が子供を産むために払っている犠牲に関連する場合について)男の子は女の子に優しくすべし」と思ってます。

(061130追記:あまりに真意が伝わらないようなので追記です。どう文書を変えれば伝われるのかよくわからないので追記になってしまいました。「私という存在に対して男全般が『キミの仕事をやってあげるよ』的振る舞いをすべき」などとどこにも書いていないと思うんですが、なぜ、そう読めちゃうんでしょう?かなり純粋に疑問なので、私の文書力の至らなさについて指摘していただけると嬉しいです。伝えたかったのは「女性の方が平均すれば肉体的にこの手の犠牲を払っている度合いが大きいのだから、男性は、女性全員にその可能性があるということを考え、そのことを思いやって女性全員に接するべきだ」ってことです。優しくして欲しい対象は「女性全員」だし、そう書いたつもりなのですが…。そりゃ病気の男性と健康な女性を比べれば、女性が男性を思いやるべきときもあると思います。でも平均的にみて女性のほうが肉体的に弱いという事実に対して見ない振りをするのはやめて欲しいです。「優しさ」って言葉が問題なのかと思ったのですが、それについては追記の最後のほうに簡単に述べてあります→(061202追記)エントリ建てました。「「男は女にやさしくすべき」と考える不幸へのコメント -「病院に行け」の怖さと、スルー力より議論力の重要性と、「優しさ」意味-」

(061130追記:無意識に前提をおいていたので、「(女の子が子供を産むために払っている犠牲に関連する場合について))」(←ここだけ061201追記、また削除して一番最後にうつした文書あり)と追記しました。ただ、「女性に月経がある」ということは、女性の人格形成にも多大な影響を及ぼしていると思いますので、卵巣や子宮に直接関係する場合にのみ配慮すればよいというものでもないと思っています。その点も含めて配慮して欲しいです。「優しくする」前提には理解が不可欠だと思ってます。また、あえて本文では書かずここで書きますが、「男の子が女の子に優しくする」のなら、もちろん女性も役割や個体差を踏まえた上での逆の思いやりをすべきだと思ってます)

友人が「男の子並みに頑張らなくちゃと思う。女の子であることを言い訳にしたくない」と言っていたのですが、女の子であることは、その人の個性の一つみたいなもので、そのことを無視したりそれによってもたらさせる事実を伝えることを「言い訳」だと思うのは、間違っていると思います。

(女の子を守るために社会が作った制度などを逆手にとったイヤラシイ使い方をしている人はいると思うし、そういう人と同一視されることが嫌だという気持ちは理解できるのですが、無理をして見せないようにするのは間違ったアプローチだとだと思っています。耳のあまり聞こえない人が聞こえてるふりをすることが正しいとは思わないし、普通の人と同じように話しかけて「聞けよ!」というアプローチをすることも正しいとは思わないし、「耳が聞こえないことがクリティカルである」という以外の仕事に就くことをあまりに制限するというアプローチも正しいとは思わないのと同じです。ただその個性を生かしたアプローチをすればいいと思います。「仕事に対して何でも完璧な人がいないように、耳が聞こえないのもただの個性だと思う」と先輩が言っていた言葉は私の目から鱗を落としてくれました)

冒頭の「プラスッチック解体高校」で、上記台詞に続いてこういう台詞がありました。

「女にやさしくする 余裕も無い奴は いつまでたっても 何もできないよ」

一見暴論で一面的な見方ではありますが、この言葉は私の心にとても響きました。

「病院に行ったほうが」という感想が予想されるのでそれについて書いておくと、婦人科はいろんな病院に何度なく通っていつも「異常なし」との返答を頂いています。あんまり痛みがひどいうえに婦人科的に異常がないので内科に回していただいたりしましたが、内科の異常も特にないらしいです。頭痛ではもちろんMRIもとりましたが異常はありません。歯医者もなんとか通って虫歯を直しました。一時期親知らずや虫歯を抜いたためか額関節症でしたが、これもマウスピースで直しました。大きな病院の漢方薬外来にも行きましたが、ツムラの普通のお薬を処方されるだけだった(保険枠内なら確かにそれだけしか無理だと思うけど)ので、「お薬をもらうだけなら普通の病院でいいや〜」と一元化をはかることにしました。

最後の頼りの精神科では、私が薬の副作用が出やすく、一度原因不明で血液中の好酸球が増加して体調が悪化し落ち着くまでだいぶかかったこともあって「今は落ち着いてるし、これ以上は…。お薬はこれくらい仕方ないですね」という感じです。

後の打つ手は頭痛外来くらいですが、私の片頭痛は明らかにホルモンバランスの乱れだと思うのと、やたら混んでるので、「それでどうなるのかしら」とかなり悲観モード入ってます。また、排卵痛にしてもボルタレンを飲むとおさえられそうな気はするのですが、痛みに対する感覚をなくして身体を動かしても、経験上、精神的に追いつめられる時期を早くするだけなので、あんまり乗り気ではありません。脳内麻薬でかなりの無理は効くほうなので、「それだけいいし、むしろそれ以上の無理は効かせたくない」と思ってます。手の震えが止められなくて、ずっと動いていないと落ち着かなくなって、というレベルまで結構簡単にいけてしまいます。

個人的に、今までの経験上副腎皮質ホルモンを内服すればかなりマシになるだろう、とは思うんですが、「そこまでして働きたいか?」と問われると答えが用意できません。誰が処方してくれるのかも問題ですが。低容量ピルは、ほぼ同じような副作用のあるホルモンバランスを崩す別薬でひどい片頭痛に悩まされたのと、これ以上服用薬を増やしてまた好酸球増加のようなアレルギー反応をおこすのはイヤなので試すのは勘弁です。

独断と偏見で選んだ関連してそうな現在の私の服用薬:パキシル(SSRI)、トウキシャクヤクサン、ソラナックス、頓服でレルパックスとイブクイック。

(061129追記)「優しくする」の意味がきちんと伝わっていないなあ、と思いました。「優しくする」って、別に「だから、優しくされる対象のいうことは全部聞け」ってわけじゃないと思ってます。それは短期的には自分の優しくされる人も楽かもしれないけど、長期的にはまったく相手のことおもんぱかっていない行為だと思ってます。基本は「相手のことを思いやる」ってだけだと思うのですが、うまく書けないのでまた別エントリで考察します。別エントリたてました→「「男は女にやさしくすべき」と考える不幸へのコメント -「病院に行け」の怖さと、スルー力より議論力の重要性と、「優しさ」の意味-」

それから書き忘れたのですが、カイロプラクティック、鍼灸、マッサージはそれなりに定期的に通ってます、というか通いたいです。(鍼灸は遠いので困難…)

「子供を産む機能」って書いたほうがわかりやすいかも、と思ったので、二文目に「機能を維持する」といれました。

(061130追記)そもそも女性の月経という現象について、男性の認識が追いついてないことが多いようなので、月経に関する基礎的な知識を追記しました。

(061130追記)自分の立場を明らかに述べる方が伝わりやすいと思ったので、「平均よりひどい犠牲を払っている女性の一人として」と追記しました。「プラスチック解体高校」も、上記発言を受けての台詞なので、その点を分かりやすくしてみました。

(061201追記)「プラスチック解体高校」への私の感想の書き方が誤解を生んでいるようですので、もう少し客観性を担保する言い方に変更してみました。

(061202追記)上記で追加した文書を明確したほうがよいかと思ったので、明確にします。後半の引用の前に「上記台詞に続いて」を追加、感想が「本当にそう思います」だったのを「一見暴論で一面的な見方ではありますが、この言葉は私の心にとても響きました。」にしました。また、月経に関する基礎知識はとして追加したのは、「現在はこのような状態ですが〜」から始まる段落です。

投稿者 michy : 09:23 | コメント (68) | トラックバック | 健康、医療 |    

本当に痩せました ブックマークに追加する

ことごとく会う人に「痩せたね」と言われるので、「痩せた」と宣言して間違っていないと思います。7キロほど痩せました。「面差しが変わっていたので、一瞬分からなかった」とも言われたので、結構痩せたと思います。

そんな私の最近の悩みは「パンツのストックがない!」ということです。トップスは女の子ならまずワンサイズだし、適当にあわせていればいいのですが、パンツはシルエットが命なのでそんなわけにもいきません。

太りだしたのが5年ほど前からなので、もう太る前の服のストックはありません。会社に入ってしばらくたったパンツを今は履いていますが、ちょっとダブダブぎみになってきてピンチです。

しかし、問題はどこまで痩せるかわかららないところです。大学時代に一番痩せていたところまでいくとすると、このまま、まだ12キロくらい痩せれるので、「今のサイズにあわせてパンツを買うのはどうなの?」という心理が働きます。

うーむ、難しいです。黒のいいパンツ命なので、そういうのが買いたいんですが…。

投稿者 michy : 01:41 | コメント (4) | トラックバック | 日常 > 2006年 |    

ベートーベン交響曲第9番「合唱付き」とシューベルトの即興曲 ブックマークに追加する

ベートーヴェン:交響曲第9番
ラトル/ウィーンフィル

友人の演奏会でベートーベン交響曲第9番「合唱付き」を聞きました。クラッシックなのにチェロとベースで「ミミファソソファミレドドレミレードド」と歌いだすあたりから一人で勝手に客席でリズムとってしまいました。合唱が入るあたりでは感動して涙してしまいました。第四楽章からは「生きろ」という言葉を感じます。横の夫をみたら夫も泣いていました。

後ほど、夫に「『生きろ』だよね。宮崎駿だね」と言ったら「あのコピーは糸井重里やけどな」と言われました。そっかー。どちらにしろ、師走にこの曲を聞く、という文化を作った日本人は素晴らしいと思います。

もっと色々書けたらいいなあーと思うのですが、ベートーベンは苦悩の末に書いたこの第9番「合唱付き」は本当に難しく、とても私の筆では言葉にできません。

夫は「耳が聞こえないのに、これを書いたベートーベンは本当にすごいよ」といつもいつも言うのですが、その手の能力に恵まれなかった私からすると、「絶対音感と、譜面をみての同時再生可能パートがベートーベンレベルである人なら、耳なんて聞こえなくても頭の中に響く音を譜面にすればいいだけだから書けるでしょ。響きを確かめられないから、面倒だとは思うけど」と思います。

アイルトン・セナは、きっとコース図をみるだけで走っている自分をイメージできたのだと思うのですが、それと同じで、絶対音感+譜面を見ただけで脳での同時再生音数がある程度あれば、「耳が聞こえない」なんてハンデは作曲に対してはそれほどではないと思ってます。

第9番「合唱付き」のCDはバーンスタイン/ニューヨークフィルとラトル/ウィーンフィルを聞いたことがあるのですが、私はラトルの洗練されている感じが現代っぽくて好きです。

帰りには思わずカラヤン/ベルリンフィルのSACDとのハイブリッドを買ってしまいました。PS3はSACDの再生がすばらしく、なんとCELL内のSPUを5つも使ってるとの記事をみて、かなりのロマンを感じたのが理由です。

しかし、HDMIで出力しようとすると、HDMI1.1以上に対応していなくてはならないようで、「ヤラレタ!」と思いました。夫はさっそく「HDMI1.1以上対応のオーディオが欲しい」と言ってます…。

シューベルト:即興曲集
内田光子

前日には、友人の単独のピアノコンサートを聞きにいってきました。彼女がプログラム上メインに据えていたのは、シューベルトの即興曲だったのですが、私はシューベルトにまったく興味がありませんでした。しかし、彼女の演奏と解説を聞いて、とてもシューベルとに興味がわきました。

その即興曲は、シューベルトが敬愛していたベートベンの死の直後で、彼が死ぬ1年前に書かれた2つのシリーズの即興曲の1シリーズ目op.142でした。

私の解釈によると、一曲目からは、ベートーベンの死を受け入れられなくて、「いやだ」「いやだ」「いかないでくれ」と苦悩するシューベルトの心が、二曲目が現実とのギャップとの苦悩し、それによってより衝撃を受け、「いやだ!」という思いが一曲目より強まったシューベルトが、三曲目からはやっとベートーベンの死を受け入れられ、「悼む」とうい気持ちになったシューベルトが感じられました。

四曲目はよく分かりませんでした。あまりにも透明で澄んでいるのです。夫は「まったく分からない」と言っていました。私は「死を希求して、そこに安らぎを求めているのかな」と思ったのですが、演奏者の友人に聞いてみると「死期は分かっていたと思うけど、死を希求しているのかなー。その時期には歌曲でも、とても精力的にすてきな歌曲を残してるんですよ」と言われました。興味がそそられます。

その後Wikipediaで調べてみたら梅毒の第二期で亡くなったということで、梅毒の第二期は2年くらい続くそうなので、逆算するとこの即興曲を書いたときは「死ぬ」ってことは分かっていたのかな、と思います。

とても気になってCDが欲しくなったので、演奏者の友人にオススメのCDを聞いたら「私もよく分からないのですが、モーツァルトやシューベルトでは内田光子さんが有名で、参考にしました。普通に良かったですよ」と言われたので購入しました。なんとムジークフェラインでの録音というゴージャスさです。

…それにしてもiTunesのクラッシクを扱いにくさはもう少しなんとかならないものでしょうか。

投稿者 michy : 01:31 | コメント (