2006年11月14日
そんな愛はいらない
少し前に民放でモーツァルトの特番を見ました。
直前にNHKでドヴォルザークの第8番を聞いた後だったので、「モーツァルトもいいんだけど、ドヴォ8を聞いた後だとねー」「確かに。でも、ドヴォルザークはモーツァルトを踏まえてるんだから、物足りなく感じるのは当たり前で、それはモーツァルトに辛くないか」などと分かったような分からないような会話をしながら、結局は番組に熱中して見ました。
モーツァルトの曲は短調の曲がとても美しいと思います。交響曲第25番、第40番あたりがとても好きです。ただ、長調も好きでフィガロの結婚序曲とか、トルコ行進曲なんかもいいと思います。でも、それも「長調なのに漂う苦悩」が好きな気がします。モーツァルトの、すっごく陽気な、書き散らかしたみたいな宮廷音楽も「モーツァルトらしいなー」と思うんですが、苦悩や苦しさの出てなさそうな楽曲には私はあんまり魅了されないです。
番組では、モーツァルトが20代前半のころに仕事が見つからなくて苦悩してた時代を取り上げていて、「皮肉なことにこの時代に名曲が多い」というようなことを言っていた気がするのですが、結局は苦悩が芸術を作り出すと思っているので、「そりゃ、そうだろうなあ」と思いました。死ぬ前に苦労していたのは知っていたのですが、それ以前の苦労はあんまり記憶になかったので、「あの短調の曲の美しさの源泉はこんなところに!」と思いました。
また、番組ではモーツァルトの陽気な面とそうでない面を「二面性」や「ギャップ」と言っていましたが、それも違和感を感じました。それは二面性ではなく、常人にははかれないだけで、彼の中では一つだったんじゃないかと思います。父の死の中に明るい曲を書き続けたのも、仕事の面もあるとは思いますが、暗い曲が書けないから、明るい曲で自分を満たしたかったんじゃないかなー、と思いました。
また、「モーツァルトの曲は思想哲学的にも深いのにそれをまったく語らないところがいい」というようなことも言われていたのですが、モーツァルトの手紙にもあるように、彼は音楽でしか語るすべをもたなかったのだと思いました。
結局、モーツァルトはお金がなく苦しい中、不明の依頼人によるレクイエムを書きながら悲劇の死をとげるわけですが、レクイエムを書いているときの「死は私の最良の友である 」や「自分のためにレクイエムを書いている」という言葉を考えると、「こういう心境があの美しい響きを残すのか」と胸につまるものを感じました。
モーツァルトのミドルネーム「アマデウス」というのは「神に愛された」という意味で、番組でも女性アナウンサーが最後まで見終わった後に、「神に愛された人だったんだなー、と思いました」と言っていました。でも、私は、すごく苦しみ抜いて、後世に残るものを残す人生を送ることが神の愛だというなら、そんな神の愛はいらない、と思いました。ただ、穏やかに普通の苦しみと普通の幸せと、家族の記憶に残る程度の人生が私はいいです。
でも、苦悩の末に、といえば耳が聞こえなくなってから作曲したベートーベンの交響曲第九番も非常に美しいなあ、と思います。彼も神に愛された人なのでしょうか。神の愛って残酷だな。
なんて思っていて思い出したのが、グスタフ・マーラーの交響曲第十番第一楽章です。一楽章しか完成していないこの楽曲が、私がマーラーの楽曲の中で一番好きな楽曲です。そして、この楽曲の美しさは、きっと彼にとってりミューズでありファム・ファタルであった、恋多き才色兼備の妻アルマ・マーラーの別離による苦悩によるところが大きいと思います。楽譜のはしばしに、「ああ! ああ! ああ! さようなら、さようなら、ああ、ああ、ああ!」とか、「君のために生きる! 君のために死ぬ! アルムシ!(アルマの愛称)」などと妻アルマへの愛が書き連ねられているそうです。
夫はこのエピソードを聞くたびに「なんてマーラーはかわいそうなんだ」と思ってしまうそうなのですが、私は「恋多き才女ってステキ!」とアルマが大好きになりました。しかし、後ほど、彼女が私の好きなブラームスを評価してなかったと知って、なんだか憧れは少し冷めました。そして、アルマの魅力は多くの芸術家にとってミューズでありペトロナスであったところなのかしら、などと考えていて、最近ふと考えついたのが、「苦悩が芸術を生み出すとしたら、グスタフ・マーラーの元から離れたアルマ・マーラーは、グスタフに交響曲第十番のような美しい曲を書かせたかったからかもね」という既に誰かが提唱してそうな説でした。
で、同じく思ったのが、「グスタフ・マーラーの元から去ったというのが、美しい曲を書かせたいというアルマのグスタフに対する愛だというなら、私がグスタフ・マーラーだったらアルマのそんな愛はいらない」でした。交響曲第十番の美しさよりアルマの愛が欲しいです。でも交響曲第十番の書いている間に、アルマは看病に戻ったりしてるし(そのためマーラーは続きを書く気がなくなったという説もある模様)、アルマは、きっと、なんだかんだいいつつグスタフ・マーラーが一番好きだったんじゃん、と思ったりしてます。
一瞬の輝きと長い闇、そして一瞬の輝きが美しいほどその後の闇が深くて暗い。それが天才の人生だと思いますね。
KAWADE 道の手帳「丸山眞男」-小熊英二「丸山眞男の神話と実像」より
闇が深いから輝きが美しいんだろうなあ、と思います。
投稿者 michy : 2006年11月14日 12:59 :
音楽
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コメント
「アルマ」という名前の語源はおそらく「魂」だと思われます。
トリヴィアでした・・・。
残酷な神の愛は・・・。欲しいな。
Posted by: マダム・ロセス : 2006年11月16日 03:38
そういう語源なんですね。響きもステキだな、と思ってたんですが、由来もステキだったとはアルマ・マーラーうらやましいなあ。ミドルネームも「マリア」なんですよねー。ステキすぎる。
残酷な神の愛、欲しいですか!?handsomeという形容詞が似合う女性は違う、と思いました。どうでもいいですが、私は「ハンサムな彼女」という漫画が好きでした。
Posted by: michy : 2006年11月16日 22:07
>私は「ハンサムな彼女」という漫画が好きでした。
それ読みたい!
それはさておき、残酷な神の愛、欲しいですよ。ここだけの話ですが、私にはもう可愛い子供も優しい夫もそこそこの生活もあります。自分の優秀さを証明する必要もなくなりました。あとは好きなことをして生きていきたいというのが本音です。
ゲイジュツに身を捧げる、というのとはちょっと違いますが。なに言ってるんでしょうね、私は。
なくなってから分かるのよね、大切なことは。
Posted by: マダム : 2006年11月17日 17:40
「ハンサムな彼女」はりぼん連載作品なので、想定読者層が小学生の女の子あたりだと思うのですが、そこが気にならなければぜひ!です。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4086180855/
題名通り、あんまり少女漫画していない少女漫画で気に入っていました。主人公にはかなり憧れました。背が高くなりたい。(どんな憧れなんだか)
最後の言葉は含蓄が深いですね。
私は基本は「どっちもどり」派なのですが、いざとなったら絶対に家庭とか自分に対する愛情とかミクロで受動的なほうだと思います。なんか自己実現の結果得るものや能動的なものやマクロなことは、どうしてもワンステップはさむようで現実感がなくてイメージが湧かなくて直感出来ないようです。(私は「自己実現」自体ではなく、「自己実現の結果」に興味があるタイプのようなので)
Posted by: michy : 2006年11月18日 03:05
なんかね~。日本の女性作家の方って(ちなみに紀伊国屋NY店ではず~っと前から"女流作家”でなくて"女性作家”、"男性作家”とカテゴライズされていましたが)、夫や子供を捨てて、出奔してから本格的に作家になった方のほうが圧倒的に多いようなのですよね。
すぐに思いつく有名な例外は御大・林真理子先生くらい?
私は故あってヨーロッパの地を離れることができませんでしたが、いま条件的には整ってきていますが、捨てるにも時期があるようで、いまさら捨てる必要もなくなってしまったようでございます。
>私は「自己実現」自体ではなく、「自己実現の結果」に興味があるタイプのようなので
自分のことは分かりませんね~。私は両方に興味があると思います。たぶん。
なんか、家族は幸せそうだし、別に恥ずかしいから本や小説を書いてくれるなとも言われないみたいなので、このまま突っ走るのだと思います。
その漫画は主人公が14歳とのことなので、読んでも辛くないかな、といま思いました。ほんとうは漫喫でお試ししてから買いたいけれど、夢ですね~。
Posted by: マダム : 2006年11月18日 05:59
女性作家が「別れたからモノが書ける」のか「モノが書けるから別れる」のか気になります。なんとなく後者の要素が強そうですが、私は神の愛の残酷さが前者にあらわれているように思えます。
家族で「残酷さ」が味わえないとしたら、それ以外のことで味わうといいのではないか、と思いました。でも、「家族の愛」などの原始的欲求が一番効くとは思います。
幸せである限りみえないものを、「後の世に残る人」はみているのだと思います。簡単に思いつく日本の女性の例では、紫式部とか。
Posted by: michy : 2006年11月19日 02:38
元のテーマに戻るのですが、小市民的な幸福や愛に囲まれていては、なかなか大成しない、ということでしょうか・・・。
私は愛に囲まれていても孤独だったりする、人間の性(さが、です)(笑)について書けるかも知れませんね。
あ、別に作品が書きたくてヨーロッパを離れたかったわけではないのです。住んでいるところがたまたま好きになれなかったり、適応障害だったのだと思います。蛇足の蛇足でした。すみません。
Posted by: マダム : 2006年11月19日 04:29
「大成」の定義にもよるのですがその通りです。ただここでの「大成」は「芸術面で後世に長く名を残す」という意味なので、後世に残らなくても、その時代に受け入れられた人っていうのは、小市民的な幸福や愛に包まれていたのかも、と思ったりします。
「愛に囲まれても孤独」っていうのは、なんかいいですね〜。それはいいなぁ〜。
Posted by: michy : 2006年11月19日 08:41
