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2006年11月27日

「根が理系」の女性が少ない理由 ブックマークに追加する

男女差の源泉の探求とそれら(複数あると思ってます)から何がどうやってもたらされているのか、というのは現在の私がもっとも興味のあるテーマです。

大学での区分として、医療生物化学系に偏りが見られるのは、親の反対と女性が少ないことにあると思いますが、物理系ではなぜか理学部に行く人が多い(物理系の八割がた)というのがあります。このあたりがなぜなのかはよくわかりません。日本で理学部を持っている女子大はお茶の水女子大と奈良女子大だけですが、工学部をもっている女子大はありませんから、特に工学系を女性が避ける理由が何かあるのかもしれません。まぁ工具使えても機械がわかってもきっともてないからだろうけど。
Say::So? - 理系(特に物理系や工学部)を目指す女の子はなぜ増えないか
これ、特にプログラマーの世界では顕著である。(中略)にも関わらず、現在この分野に女性がこれほど少ないのはなぜだろう。実は私にも皆目検討がつかない。
404 Blog Not Found - プログラマーを目指す女の子はなぜ増えないか?

私の独自の観察によると学部による女性の割合は以下のようになることがわかっています。

生物>化学>(超えられない壁)>数学>物理
理学部>(超えられない壁)>工学部

持論
「興味分野や物事の理解の仕方」が理系っぽい女性を「根が理系」と私は勝手に呼んでいるのですが、この「根が理系」の女性は明らかに男性に比べて少ないです。そして、この理由に関する私の現在の持論は「男女の興味分野や物事の理解の仕方に差があるからだ」ということになっています。

どういう興味分野や物事の理解の仕方の差かというと、女性は何事も全体として捉え、理解しようとすることが多いのにのに対して、男性は部分それ自体に興味があることが多いのではないかと思っています。

その差は由来は生物学的なのか?文化的なのか?と問われると両者併せ持つと思うものの、「絶対にそこに眼前たる生物的な差異は存在している」と思います。そもそもより適応できるものが生き残るのが生命だと思うので、長期的にみれば生物学的なものと文化的なものが分離可能であるのかどうかも疑問です。(だから学問はもっとトータルではかるべきで、もっと学際的な研究が日本でも盛んになって欲しいです。学際的なものはどうしても一段低くみられがちな風潮はどうにかなって欲しいです。日本ってもともとそんな細分化が好きな文化じゃなかったと思うんですが…)


興味分野の差異
興味分野の違いに関しては、フェチズムなんかは「男性が部分に興味をもつ」ということに対しての代表だと思っています。「喪服にいったい何が!? -コスプレとフェチズムとメガネ-」でも、少し書いたのですが、そこでは私のフェチズムに関する理解が少し間違っていたようです。はてブコメントで頂いた「服を残しているからこそ、演技をしなくていいんだが。」や「フェチが誤解されてるなあ。人なんか飾りですよ」という言葉が、まさにその心理が語っていると思いました。私は、興味の対象は女性としては一般的ではないものの、やはり女性ちっくなのか、服があるから演技がいらないのだという考えは青天の霹靂でした。

女性が家にロマンを抱くことが多いというのが、女性が「全体に興味がある」ということが多いということの例だと思っています。女性は自分を置く環境が大事で、トータルでコーディネートすることに意味があるのだと思っていることが多いのだと思うんですが、男性は「建築素材」、「建築手法」、「内装」、「家具」といった部分それ自体に興味をもつことが多いのかなー、と思います。そもそも女性は町並みや周辺環境や、ご近所やその他諸々のことにも気になってしまうことが多いと思います。

理解の仕方の差異
物事の理解の仕方については、よく「男性は論理的で、女性は感情的」と言われることが多いと思うのですが、同じ理論から説明できると思っています。男性はその論点になっていることだけを捉えられるから、「こうだからこうだからこうなんです」と言われると納得するのですが、女性は他の事情に興味が行きがちで「こうだからこうだよね」と言われても、「え?他のことはどうなの?」と拒否反応を示してしまうのではないかと思います。「他のこと」を論理的、抽象的に説明しようとしても、「違う」と告げているのは直感というか感覚というか、全てをとらえたうえでの頭に飛来しているイメージなので、理由が自分でも認識できないことが多いし、ましてや言語化なんて困難なので、「とにかく違うの!」となってしまって、「感情的」だと思われるのだと思います。

このあたりの差異は「この人と結婚していいの?」を読んで、ものすごく実感しました。

プログラミングへの応用
で、これをプログラミングに興味をもっている男女に発展させて考えると、女性は「プログラムを使って何ができるか?」ということに興味がいくことが多いのに対し、男性は「プログラム自体がどう出来ているのか?」に興味がいくことが多いのではないかと思います。

なので興味分野にも理解の仕方も理系的である「根が理系」の女性であっても、「じゃあ男性と同じ環境で戦いましょうね」と言われると「そこまでプログラム自体にこだわりはないからプログラムをどう応用できるかという方面に行こう〜」となっちゃうんじゃないかな、と思っています。

という持論(私のコメントの書き方が断定的かつ拙いので、そこがこのような反論を頂いた一因であると思ってます)を述べているとDanさんのブログのコメントで、nakayaさんから以下のコメントを頂きました。

「プログラムを使って何ができるか?」と「プログラム自体がどう出来ているのか?」を考える違いは性別に関係なく、プログラマ全般でもそういう人達に分かれると思います。むしろ、どちらの性質もプログラマに向いている性質ではないでしょうか。両者の違いは「役に立つ美しいプログラムを書く」という目的の過程ではさほど問題にならないと思います。

「プログラマ全般でもそういう人達に分かれる」や「どちらの性質もプログラマに向いている」というあたりは同意なのですが、その傾向が「性別に関係ない」ということはないと思います。「プログラム」というモノに同じように興味のある男女を集めてみた場合(そもそも女性のほうが全体に興味あるために、往々にして「プログラム」という個別事象に近そうなモノに対する興味が低くなる確率が高いと思うので、そんな実験がどうやってできるのか謎ですが…)、女性の方が「プログラムを使って何ができるのか?」ということに興味がある確率が絶対に高いと思っています。

だから、nakayaさんがおっしゃる以下のような現象が出てくるのだと思います。

それから、私の知っている限り、大小問わずソフトウェア会社では、SEとして雇用された女性は、プログラムの内容が分からなくてもできる仕様書書きをしている人が多いように見えます。それが本人の希望なのか、会社の性質なのかは分かりません。コードに触れる機会が少ないので、必然的にプログラマと言われる位置にいる女性は少ないのかもしれません。

まさにお互いの長所を生かした適性配置だと思います。

もっとも、「だから女性は絶対に仕様書書きにつかせるべき」だとは思いません。平均的男女差というのはあるとは思いますが、何事も個体差というのがありますので、個体差を必ず考慮にいれるべきです。フローレンス・ジョイナーより100m走の遅い男性は山ほどいるでしょう。

また、理解の仕方の問題からは、女性で「理系科目もできる」という人は一定数いるものの、「理系科目ができる。むしろ理系科目が得意」という人の数は多くないと感じています。

Qualitative Reseach -私の場合-
以下は少し自分の場合を例にあげて考察してみたいと思います。

なぜかというと、「サンプルをたくさん集めて統計で考察するQuantitativeなReseachにももちろん意味はあるのだれけども、それだともっと奥底の原因を見逃してしまうことが多々あって限界があるので、インタビューを通じて、深く考察するQualitativeなReseachにも、もっと価値を見いだそうということ」ということを大学を習って、「そうだよねー」と思ったので、ここは自分をQualitative Reseachです。Qualitative Reseachについては「Becoming Qualitative Researchers: An Introduction」が参考になるかと思います。

私は、機械やプログラムが好きで理系科目のほうが文系科目よりはるかに得意です。でも、技術者やエンジニアの道は選ばなかったし、その道には今でも興味があまりありません。弟は私と同じ家庭に育っていますし、同じようなものに触れる機会に恵まれていたと思いますが、機械やプログラムに対する興味は私ほどではなかったようです。また理系科目も私より得意ではなく苦労したようです。しかし、今ではプログラマをやっています。

そんな私の家庭はどんな家庭だったかというと、父は工学部応用化学科を出て電気メーカーのエンジニアをやっていました。母は女子大の理学部化学科出身で私が生まれて大きくなるまでは主婦業に専念していたようです。祖父の話を聞く限り曾祖父あたりから父の家系は代々理系多数派のようです。

母の話によると、私は幼稚園に入る前からパソコンが好きでパソピア8でBASICを書いて楽しんでいたらしいです。プログラミングが好きだったから書いていたのか?というと、そんなことはあんまりなく、「色んなゲームをしたいんだけれども、色んなゲームをするためには自分でプログラミングすることが必要」なのでプログラムを書いていました。

MS-DOSになったら充実したらフリーソフトウェアがあったので、「まあ、他人が作ったもののほうがよく出来てるし、それで遊ぶほうが楽しいわ」と思って、フリーソフトウェアのコレクションをして楽しんでいました。弟も何かプログラムを作ったりしていたようですが、私ほど熱心ではなかったようです。

今でも、プログラムもプログラミング言語も好きですが、プログラムは他人の作ったものを使ってるだけで楽しいし、プログラミング言語も解説書を読んで「良く出来てるねー」と思うだけで満足して、「手を動かす」というところまではいきません。

だから、「環境」が上記問題を作り出しているのでは?ということは、一因をとらえていると思うもの全てではないと思います。環境を与えることは、環境を与えない場合に比べて私のようにプログラムに興味をもつ可能性は高まると思います。でも、興味をもった結果としても、やはり女の子は私のように「で何ができるの?」ということに興味がいく確率が高いと思います。

弟はプログラムには興味をもたず、確か戦艦が好きだった気がします。彼はやはり「戦艦」それ自体が好きな様子で戦艦のスペックを覚えたりしていました。

小学生になると、父がハンダ付けをしたりテスターでなんかしたりしているのをみて、「ハンダ付け楽しい〜。テスターもステキ。抵抗やコンデンサはロマンだね〜」と思っていて、母にねだって工作セットを買ってもらったりしていました。

しかし、こちらも、「所詮、工作セットで出来るものなんて、たいした機能が実現できないのね。それなら、機械を買ったほうがいいや」と思ってしまったことと、私が不器用なうえに力が無さすぎるので断念しました。今でも基盤みたりするのは好きで、「基盤は芸術だ」と思っているので、基盤に対する興味はあります。

そして、地元の中高一貫女子校に進みました。女子校なので「理系科目ができると女の子らしくないのでは?」ということを気にしなくて済んだのは楽でした。男性の目を意識するか、しないのか、ということは一因であるし、かなり重要な部類だと思います。

ただ、この「男性の目」を考えるときに、そこに「モテ」という単語をあてるのはどうかなーと思ったりします。女性で「男の子全般にモテたい」という思いを持ってる人は少ないと思っています。モテたいのは「意中の男性」についてのみってことが多いのではないでしょうか。

むしろ、一般的に女性は男性の視線より女性の視線のほうをおそれていると思います。女性の世界は同質化を迫る割合が男性に比して高いと思ってます。源氏物語の最初の一節が女性のこの傾向をとてもよく表していると思います。

いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひけるなかに、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。はじめより我はと思ひ上がりたまへる御方がた、めざましきものにおとしめ嫉みたまふ。同じほど、それより下臈の更衣たちは、ましてやすからず。
「源氏物語」冒頭

女の子理論でいけば「いとやむごとなき際」ではない人は「すぐれて時めきたま」ってはいけないんです。きっと、自分たちと同じか、それより下の立場の人間が自分たちより物事が出来てしまっては自分たちがまるでダメなように思えるからだと思うのですが、私はここらへんの女の子心理がよく分かってないので想像です。「すぐれて時めきたま」うなんて、立場をわきまえていません。ましてや帝の寵愛を受けるなんてとんでもありません。

女性誌の「モテ」服というのも、本当に男性の視線を意識しているのか謎に思う事が多々あります。あれも「女の子たるものモテ服を着なくては」という女の子同士の同質化の追求がもたらしているのではないかと思います。

なので、私の中高の友達や同級生が「女の子で理数系ができるなんて、女の子ルールを破っている」という価値観の持ち主でなかったのは本当に嬉しかったです。

大学受験では「理系の学部に行くなら理学部物理学科か工学部物理工学科に行きたいけど、異常に女子率低いからヤだなあ。でも第一志望に行けないなら理系学部だよねー」と思っていました。

女子率の低さは女の子をたじろがせるに十分な要素だと思っています。女の子がいない、とか、いやむしろそれならまだいいけど「気の合わない女の子と友達付き合いをしなくてはいけない」(同じ立場の女の子が二人いたら、女の子理論としてはその二人は仲良くしなくてはいけません)なんてことが起こったら!!!!考えるだけでガクガクブルブルです。女の子には愚痴をいいあえる、気の合うガールズトークのできる女の子が必要なんです。(女の子の愚痴の科学については、また別のエントリで述べる予定です)

大学入学後しばらくは暗中模索しました。私の能力的には明らかに理系職業のほうが向いているのですが、「理系学問や仕事にどうしても趣味以上の興味をもてない」ということで「じゃあ、そういう人をサポートする職業につこう。『好きこそものの上手なれ』っていうじゃないか。『下手の横好き』なんて言葉は忘れよう」と思いました。この「サポートしよう」というあたりは女性的発想なのかなー。

知られている優秀な女性プログラマの考察
Danさんが例にあげられていた、「知られている優秀な女性プログラマ」についてですが、これは、あえて少数派であることに耐えて理系を貫き通した反骨精神みたいなものと、やはり女性なので「男性にない視点」をもっていることが多いことから、「優れた」人が多くなるのだと思います。虐げられて育つ強さ、というのは、人の弱さを知ってる人は強いというところに通じると思います。

男性にない視点という例は、現在慶応義塾大学理工学部名誉教授の米沢富美子さんは、その昔は複雑系で名を馳せていらっしゃったと思うのですが、とても女性らしいアプローチだな、と思っています。「仕組みより結果をみよう」というのが複雑系のアプローチだと思いますので。

体力の問題
「体力の問題では?」という指摘もありました。私が「理系学部ヤだな」と思ったものの一つに体力の問題があったので、それは一因であると思います。

しかし、平均的にみれば女性は体力がないですが、女性でも体力のある人はあります。また、化学系でみると女性は実験に時間のかかりそうな有機化学に興味がある人のほうが、実験には時間のかからなさそうな無機化学に興味のある人より多いと思います。

プログラマーは重労働ではあるものの、じゃあ、比較的女性の多い医者が重労働じゃないかというとそれも違うと思うので、一因ではあるものの全てではないと思います。でも、是正して欲しい問題であります。もう少し日本では、人の管理を含めたソフトウェアエンジニアリングという分野を成熟させたほうがいいのではないかと思います。

支配欲求
DanさんのブログのYouthさんのコメントには考えさせられました。

全く根拠のない持論ですが、プログラミング人口における性差は「支配の欲求」の差であると考えています。プログラミングはフォーマットに従って指示書を書くこと、それが実際に動くか確認する作業の繰り返しです。うまくできたときの達成感は「支配した」という感覚に近いものがあると思います。

対して、女性は支配や独占よりも共有や承認に価値を置いているのではないでしょうか?

確かに、男性は支配したがることが多いなあ、と感じます。女性も支配はしたくないわけではないと思うのですが、どうしても自由にならない生理が毎月訪れたり、男性に比べて体力の限界や、自由になることの限界を知っているので、諦めることや寛容であることや他者に頼るという発想にいきやすくなるのかなー、と思いました。

まだまだ考える予定です。

投稿者 michy : 2006年11月27日 23:15 : バトンや適当な発見や主張 |    

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「根が理系」の女性が少ない理由http://michys.com/blog/2006/11/post_537.html について、参考までに私の考えを紹...

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いつものごとく、ネタの旬が過ぎた頃にこっそり参加します。


コメント

なかなか面白い視点だなぁと思いました。

が、言うまでもなく、性差の問題は遺伝要因と環境要因が複雑に絡み合っていて、何らコントロールすることなく卑近な事例のみを用いて思索だけで結論付けるのは、ともすれば短絡的というか、下手するとトンデモ理論に堕する危うさを感じました。

ご存知かもしれませんが、「理系女子が少ないのはどうして」という素朴な疑問は、昨年だったかに前ハーバード大学学長 Lawrence Summers の発言が契機となってアメリカで大論争になってました(今も続いているようです)。

認知科学の世界では、"In an nutshell, sex differences in cognition are real, but quite shallow."という結論が支持を得つつあるみたいです(Sex Differences in Cognition: a primerより)。今後の探求のご参考まで。

Posted by: Karasawa : 2006年11月29日 17:52

自分の場合を紹介したのは、Qualitative Reseachの一貫としてのみなので、「それははずれ値すぎるだろ」ということも、もちろん念頭においてるつもり、です。そして、学術論文にするつもりもないので、直感に頼って書きたくて、トンデモだと言われても思われてもあんまり気にしてないです。「それはもったいない」と思っていただいていたとしたら、とても有り難いです。

ハーバード大学学長の発言は知りませんでした。ご紹介ありがとうございます!

Posted by: michy : 2006年11月29日 18:27

色々気になる発言、面白く読んでいます。この件について、私は事実と経験に従って書かせてもらいます。便宜上、完全に「男性」と「女性」として区別して書きますが、もちろん例外があることは言うまでもなく、あくまで全体的な傾向という意味で書きます。

女性は確かに全体に興味があるかもしれないが、それは結果という「果実」に興味があるのであって、しかもそれを「感覚的」に捉えているだけです。一方、男性も全体に興味はあります。ただ、男性の場合、それを出来れば自分で「作りたい」と考え、「どうやって」作るのかに自然と興味が移るのです。「どうやって」というのは理論であったり、道具であったり、技術であったりです。そして、スペックという「客観的」で「分かりやすい」数値で評価をする男も結構多いですね。全体はそれら個々の物が積み重なった物である以上、細部を知ろうとしない女性はいつまでたっても物や理論を作れないのです。

ちょっと話題とずれますが、原始時代から女性は男性が苦労して取ってきた「肉」や「果実」をいただくことに興味があり、どうやって取るということにはほぼ興味を示さないどころか、真実を知ったら嫌悪感さえ示す生き物です。簡単な例でいうと、大工さんかっこいいねといって結婚する女性はいても、実際に汗と泥にまみれて現場で作業する女性はほぼ皆無ですよね。また、黒川記章氏や安藤忠雄氏のような建築家のデザインした建物には「美しい」と感動しても、それが緻密な構造計算の上に成り立った機能美を兼ねているということは分かったつもりでいても実行できないでしょう。

結論。簡単にいうと、女性は「ユーザー」であって、「メーカー」ではないということ。全体に「興味がある」のは認めるが、それが「得意」だと勘違いされると男は気分を害しますね。

あなたの考えに対する反例を2つほど。

戦国において、淀という愚かな女が自分の子供のことにしか目がいかず、感情的になって自滅した例を見て「全体が見えている」といえるのか?

男にとって瑣末などうでもいいことグダクダいって男を辟易させるのは女の悪い癖。どうしてそんなに細かいのか?

まずはこの2つに「直観」ではなく「客観的事実」をもって答えてみて欲しいですね。理系を自認するならば。

Posted by: a : 2006年11月30日 15:24

横から失礼。

> 戦国において、淀という愚かな女が自分の子供のことにしか目がいかず、
> 感情的になって自滅した例を見て「全体が見えている」といえるのか?

> 男にとって瑣末などうでもいいことグダクダいって男を辟易させるのは
> 女の悪い癖。どうしてそんなに細かいのか?

が「反例」であること(であることの理由)は
セットで書かれないのでしょうか?
反例になっていることがわからなかったです。

そんなこともわからん理系でないヤツは引っ込め
って話なら、それはそれで良いですが。

Posted by: hrsg : 2006年11月30日 16:18

>>aさん
前半は男性側からの視点が率直に書かれててあってとしておもしろいなあ、と思いました。結論や細部については色々反論もあるのですが、書いても意味のない瑣末なことだと思うのであえて書きません。「意見を聞きたい」ということでしたら、時間がかかるかもしれませんが、私が感じたことを書きますので、その旨、お伝えいただければと思います。

また、私の返答が期待されていると思われるaさんが「反例」だと思われる二つについて、hrsgさんと同じで「なぜ、反例なのか」がよく分かりません。理由を推し量ってそれに対して反論することはできるのですが、「その点じゃない」などと言われると収集がつかなくなると考えております。

そして、この理由の説明責任は問題の提示側にあるべきだと思ってますので、ご説明をお願いいたします。

また、そもそも私の理論が「直感」で成り立っているのに、その「直感」で成り立った理論に対する「反例」に対して、「客観的事実」を求めることは論理矛盾していると思うのですが、どう思われますか?

Posted by: michy : 2006年11月30日 19:25

いつも興味深く読ませてもらってます。
michyさんの分析は、いつも論理的で緻密ですばらしい!
同じ法務系として尊敬します!

そんな分析に対し、おおざっぱな考察を返して申し訳ないのですが、私は、「組織の中の女性」について、michyさんとは、逆に捉えてました。
どちらかというと、「男性は何事も全体として捉え、理解しようとすることが多いのに対して、女性は部分それ自体に興味があることが多いのではないか」というイメージがあるのです。

なぜかというと、私には、これが日本において女性管理職が少ない原因の一つなのではないか?と考えているからです。

日本で、大卒に占める女性の割合と、上級職の女性の割合が極端に違うことについては、いろいろ原因があると思いますが、理由の一つは、大局観を持っている女性が、まだまだ少ないということだと思います。
逆に、決められた範囲の仕事については、女性に優秀な人が多い。
実際にそうかどうかは別にしても、よくある「女性は事務が得意」という思い込みは、このあたりからも来てるんじゃないかなあ?

もちろん、こうした現象については、後天的な要素も多くて、一概に性差だけの問題ではないのですが、一般的な傾向の一つだという気がしてます。

michyさんは、どう思いますか?

Posted by: ヒロタ : 2006年12月01日 00:18

>hrsgさん

君みたいな横槍入れる人間は声だけ大きくて自分でちっとも調べない。自分が「分からない」のは君が「知らない」からであってそれを開き直って説明しろなんていってくるからこの国の学力が下がるんだ。知らないのを恥と思う文化はもうこの国にはないですな。茶々入れる以上反撃される覚悟でしてるんだろうな。理系がどうとか言う前に、一昔前なら一般教養だ。君みたいな人間は結局無いもできないんだから引っ込んでなさい。

>michyさん

まあ、説明不足なのはある程度認めますけど、私のコメントの目的はあなたを挑発することにあるので。要するに、「根が理系」と称する人間が、「直観」とやらで公共に向かって理論を構築するのが気に入らないのですよ。学会を経験した人間にとってはあなたは「理系に興味がある」だけで「理系」人間ではないと思いますよ。学問の「常識」として、「客観的事実」を示さない理論は理論とは言わない。

だから、あなたの直観理論じゃ人は納得しないよという意味で、客観的事実を使って説明してくれといったのです。私の反例に対してあなたに「客観的事実」を提示しろというのはそういうこと。それともずっと直観という科学的根拠の無い土俵で話しつづける理由があるの?そしてそれに私が付き合う理由がある?別に私の要求に無理に答えたくないなら人の揚げ足とって訳の分からん論理的矛盾(議論のルールとして直観で話しましょうと言っているならそれでもいいけど)とやらを追求せずに、「私は上にも書いたように直観で書いているので客観的に説明できません、もしくはしたくありません」と素直にいえば可愛いものを。

まあ、学術論文でないと明言しているので、その辺があなたのブログの特徴なのでしょう。

反例について補足っていってもねえ。あなたの論理を借りれば、あなたがどこまで分かっていてどこが分からないのかの説明責任を果たしていないのでどこから話せばよいか分かりません。まずは概要をさらっと話してあなたの具体的な質問に答えることにしますか。

淀は自分の息子である「秀頼」を救いたい一心で、大阪冬の陣で幕府方の講和要求を飲みました。その際、豊臣方についた武将や兵士として戦いに参加した15万人をどうするかについては何の対策も立てませんでした。彼らは関が原で破れて彷徨っていた浪人たちであり、この戦いに起死回生の夢を見ていたか、もしくは死ぬつもりでした。その「全体像」が見えず、「秀頼さえ助ければよい」という「部分」で講和したのです。淀の思惑とは裏腹に、浪人たちは暴発し、夏の陣を起こすのです。目先のことにとらわれて大局を把握できなかった結果、豊臣は滅び、淀が助けたかった秀頼も死んでしまったわけです。

分かりましたか?多分分からないっていうだろうから質問どうぞ。

Posted by: a : 2006年12月01日 00:28

a氏に横からコメントさせていただいて、
回答を頂戴した hrsg と名乗っているものです。(_ _


> a氏

あなたが定義したがっている「理系」という「こだわり」からすると
ひっこんでなさい、ってことになるんですね。

客観的事実にのみ基づいて、
直感などを交えずに理論を構築しなければならない、と。

理系じゃないって言えば客観的事実に基づかなくてよい、
とも言え、
客観的事実のみに基づいて述べないのであれば
理系を名乗るな、とも言えると。


なるほど。


その前提で

『君みたいな横槍入れる人間は声だけ大きくて自分でちっとも調べない。自分が「分からない」のは君が「知らない」からであってそれを開き直って説明しろなんていってくるからこの国の学力が下がるんだ。知らないのを恥と思う文化はもうこの国にはないですな。茶々入れる以上反撃される覚悟でしてるんだろうな。理系がどうとか言う前に、一昔前なら一般教養だ。君みたいな人間は結局無いもできないんだから引っ込んでなさい。』

を読ませてもらいました。

あなたが理系でないと、
語るに落ちた、と理解できました。

学会経験が、貴重な体験だったのでしょうね。
そこで「客観的事実」に基づく「理論」の重要さを
実感されたということは、伝わってきます。

少なからず技術研究に関わっていた身としては
新機軸が生まれるときの直感を否定するのは愚の骨頂だと思います。

直感に基づく仮説を構築できないような研究者は
イノベーティブな成果を産み出せないでしょうね。

あと、
せっかく解説をいただきましたが、

『まずは概要をさらっと話してあなたの具体的な質問に答えることにしますか。』

との箇所

『淀は自分の息子である「秀頼」を救いたい一心で、大阪冬の陣で幕府方の講和要求を飲みました。その際、豊臣方についた武将や兵士として戦いに参加した15万人をどうするかについては何の対策も立てませんでした。彼らは関が原で破れて彷徨っていた浪人たちであり、この戦いに起死回生の夢を見ていたか、もしくは死ぬつもりでした。その「全体像」が見えず、「秀頼さえ助ければよい」という「部分」で講和したのです。淀の思惑とは裏腹に、浪人たちは暴発し、夏の陣を起こすのです。目先のことにとらわれて大局を把握できなかった結果、豊臣は滅び、淀が助けたかった秀頼も死んでしまったわけです。』

この内容における客観的事実ってどこですか?

やっぱ、わかんないすね。

先達の研究成果に基づく
「正しいであろう」とされている内容をうけ、
a氏なりの仮説、理解をもとに構築・記述されたプロット、
だと理解しました。

であれば、あなたが書いている
仮説・理解などが反例として生きてくるのであって、
先のコメントに記述している内容だけ書かれたために
私には理解できなかったのだ、と思いますね。

分かりましたか?
多分分からないっていうだろうから質問どうぞ。

Posted by: hrsg : 2006年12月01日 01:25

挑発して『これだから女は』ってなコメントしたそうなのに、
冷静なっぽい反応に腹立ててる感じがなんともwww

(  ゚,_ゝ゚)バカジャネーノ


『素直にいえば可愛いものを』とか言っちゃってwwwww

( ゚,_・・゚)ブブブッ

Posted by: : 2006年12月01日 01:48

>直感に基づく仮説を構築できないような研究>者はイノベーティブな成果を産み出せないで>しょうね。

はあ。直感から仮説を立てて論理を構築するのは当然のアプローチで君に言われるまでもない。他人を納得させたければ客観的事実もしくは論理的実証をしろといってるだけ。

それに、理系人が全てイノベーティブでなければいけないとでも思っているのか?イノベーションに関わった人間ならともかく、軽々しくイノベーションなんて口にしたら先人の技術者に失礼だ。簡単にイノベーションが起こるならだれも苦労しない。クリエイティブと勘違いしてるんじゃないのか?

ここで議論したいのは女性の「全体を見る能力」が男性より優れているか?ということであって、「手段」として「客観的事実」を用いているか「直観」を用いているかは方法論の話だ。すでに細部にこだわって議論を混乱させているじゃないか。

もっとも、「論理的に実証しろ」といった私が「客観的事実」に基づいて説明していないという点に根本的に矛盾を感じるんでしょうな。そりゃそうだ。実証の方法論云々は挑発のツールとして用いたのであって、初めから矛盾してるのは分かってますよ。自己矛盾してる。それでひっこめと言われればそれまでだ。

歴史を出した私が悪かったのでしょう。ここでやっても不毛な議論になりそうなのでこれ以上知りたければメールでどうぞ。

但し、「女性は全体が見える」という仮説は、現実の歴史と社会に対する非常に面白いアンチテーゼなので、議論の余地は多いにある。

私がいうまでもなく、上のコメントで質問が出ているのでそれの答えを待つとしよう。

Posted by: a : 2006年12月01日 12:33

>>aさん
ブログというメディアで、かつ、「目的は挑発することにある」とおっしゃっているかたに対して、私が相手する義務もこのようなお知らせをする必要もないと思っているのですが、「逃げた」だの「これだから女は」だの言われるのは嫌なので、お知らせしていたします。

現在体調が悪いのと、あなたへコメントするということが私の中の優先順位として低いのと、簡単に書けることではないのでお返事が遅くなると思います。ご了承ください。

Posted by: michy : 2006年12月01日 20:28

>>aさん
お待たせしています。ヒロタさんの観点と共通するおもしろいテーマなので、きちんとエントリにしたいと思っています。ただ、時間がないので簡単に。

aさんが何を女性が捉えようとする、「全体」と思ったのかが未だ不明なのですが、「大局をみる」ということがそのことだという前提で話を進めます。

女性は「何事も全体として捉え、理解しようとする」ことが多いと思いますが、そのことと「全体にとって有益な決断をできる」=「大局を見据えた決断をできる」ことは別だと思います。

具体的には、全体をみるがゆえに、不幸な人が一人でもいるということが許容できず、「肉を切らせて骨をたつ」というリスクテイクの決断が困難な人が多い印象を受けます。男性はさくっとできちゃう人が多いように思います。

また、まとめてエントリ書きたいと思います。

Posted by: michy : 2006年12月21日 00:23

他のエントリでお邪魔してる 既得権益名無し です。

おもしろい思考実験ですね。

女性の視点というものを、なんというか、客観的に書いてある文章には、学びが多いですね。

>女子率の低さは女の子をたじろがせるに十分な要素だと思っています。「気の合わない女の子と友達付き合いをしなくてはいけない」(同じ立場の女の子が二人いたら、女の子理論としてはその二人は仲良くしなくてはいけません)

の下りは「なるほど~」という感じです。


実は、一点疑問なんですけど、「理系」って何ですか?あるいは「理系」な思考とは?

いわゆる文系科目にも「理系」とされる技術が必要なこともありますし、逆もまたしかり。qualitative とquantitativeにも分けられないように思います。昔の、1600年から1700年くらいの哲学の本なんて読むと、昔は理系と文系の境目がなかったんだ、と思ったりもします。

医学って両方必要だし、、、一応理系らしいけど。

Posted by: : 2007年03月23日 21:19

>>名無しさん
何が理系か、というのは深遠な質問ですね。世間的に一応決まりがあるようなので、そこはあえて踏み込んでません。

私の理解でいうと、私は100%理系か文系かに分かれる学問は無くて、どっちの要素がより強いかということで、「理系」や「文系」って呼ばれているのかな、と思ってます。だから、過剰に分類することや定義すること、「文系だから」「理系だから」という自縛的な思考に陥ることは意味がないと思ってます。「理系っぽい」と、あえて曖昧さを残した表記を好むのはそれが理由だと思います。

で、「理系っぽい」というのは、感覚的には、qualitativeで、数式を使うか使わないか、曖昧なことを排除するかどうか、ということが大きな要素かな、と今のところは思ってます。

だから、金融や認知科学は文系というよりは理系色が強いと思うし、医学は理系色が強いと思うものの、どちらかというと総合芸術っぽいなあ、と思います。

金融と心理学の発展が似ているように、とある学問を発展させるために何か他の学問で既に研究されていることがヒントになることはたくさんあると思うので、無理に境目をつくる必要はないと思ってます。ただ男女差の違いや学問間の特性の違いを理解するのに、有用な言葉だな、と思ってます。

Posted by: michy : 2007年03月26日 06:22

michyさん、最近の調子はいかがですか??
以前別のエントリでコメントしたうめです。
みなさんの意見、すんごく参考になりました。
客観的事実とか難しいことは書けないので、のほほんとしたコメントですみません…。


先日旦那とケンカをしたのですが、内容はともかく、その言い合いの中で、私の言いたいことと、それに対して旦那が食いつくところが違う、ということがありまして、もやもやしていたのです。
その現象の答えがぼんやりと見えたような気がして、じゃあしかたないかと諦めたというか、納得したというか(笑)

やり取りの例を出せと言われると難しいのですが、「全体」と「部分」という表現をみて、うわ、それだわと思ったのです。

michyさんの書かれた内容そのままって感じなのですが、「全部ひっくるめて話してるのに、なんでその部分を重要だと思うの!?」とか、「私が聞きたいのは『全体』への答えであって、『部分』についての答えは『違う』んじゃ~!!」となっていたように思えます。

もちろん、一つずつ解決しないといけないのは百も承知なのですが、一個ずつの答えをつなげられても、全体への答えにゃならないような…なるかもしれませんが…しっくりこないのです。

まさに、michyさんの書かれていることの実例です(苦笑)

私があほぅだからって言われるかも…言われても反論できません…。

付け加えると、私も旦那も教育関係の仕事をしてまして、私は文系科目、彼は理系科目の担当です。
日常生活でも、興味がある、注目している部分の違いを感じます。

Posted by: うめ : 2007年03月27日 00:25

>で、「理系っぽい」というのは、感覚的には、qualitativeで、数式を使うか使わないか、曖昧なことを排除するかどうか、ということが大きな要素かな、と今のところは思ってます。

つまり上記説明は文系っぽいということでよろしいのでしょうか?

Posted by: : 2007年03月30日 11:30

>>うめさん
わかります!いや、我が家は間違いなく私があほなんだからだと思うんですが。

そして、タイトルがアレなんですけど、「この人と結婚していいの?」という本はオススメかもしれません。男女の考え方、感じ方の違いについて書いてあります。何でこの題名なのかはAmazonの書評でも疑問を呈されていますが、私も疑問です…。紹介して二人くらいに感謝されました。

>>名無しさん
はい、そうです。私が自由に書く文は、おおむね文系っぽいなあ、と思います。(しかし、語ってる内容は理系っぽい、という自己矛盾)

Posted by: michy : 2007年03月30日 17:51

「この人と結婚していいの?」、必ず読みます!!
紹介コメントを見て、確実に私には何かヒントを与えてくれる本だと、すでに確信しております(笑)
また、読んだ感想をまたお伝えできたらいいなと思っています。
……顕著な実例として(苦笑)

Posted by: うめ : 2007年04月02日 01:18

>>うめさん
「この人と結婚していいの?」は私もとても影響を受けた本です。男女論を考えるキッカケになった本かもしれません。「男性っぽさ」や「女性っぽさ」って政治における右と左みたいに色んなものを包括しているなあ、とは思っています。分離することだけに意味は無いですが、分析や理解には分離も大事だと思うので、私なりに分析して分離して関係性や原因を考え、男女や人間同士がお互いに理解していく手助けができたらいいなあ、と思ってます。

Posted by: michy : 2007年04月04日 03:33

早速「この人と結婚していいの?」を読みました!
男性がどのように考え、どのようにこちらの言葉を受け止めているのか、また、自分がどのように感じ、考えて発言していたのか、客観的に考えるのにはとても参考になりました!

これからは、少し冷静に二人のやり取りを見ることができるようになるはず!(もちろん、努力が必要ですが)

めげずに話し合っていこうと思います。
早々には(勘違いによる)ケンカや議論はなくならないでしょうが、時間が短縮できそうデス。

旦那にも読ませます!
いい本を紹介いただいて、ありがとうございました!

Posted by: うめ : 2007年04月08日 12:33


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