2006年11月30日
全ての人対して誤解を産まずに、それでいて多くの人に読んでもらえる文書なんて書けない
書ける人はいるのかもしれません。ただ、私は未だそのような文書を見たことがありません。
そもそも「全ての人に誤解を与えない文書」というものと、「読んでもらえる文書」というのは相反する要素だと思っています。「誤解をできるだけ少なくしよう」とした文書の例が、ターミノロジー(その専門分野において使われる言葉で定義された言葉だと思っているのですが、解釈が違っていたら申し訳ないです)を多く使った学術文書や、法律などだと思うのですが、あれを読みやすいと思える人がどれだけいるでしょうか。ターミノロジーなどを使わずに、すべてのことを考慮してわかりやすくなどと考えると、文書はとても冗長になって、気骨のある人しか読めなくなるでしょう。
「読んでもらえる文書」ということにフォーカスすると、分かりやすい口調で書いたり、具体的で分かりやすい事例を持ち出す必要が出てきます。ある程度、論理を端折って短くしないと、読む側の負担になるので、どうしても論理を飛ばし気味になったりもします。よく「釣られた…」という言い方をすることがありますが、最初に極論を言って注意をひいたり、露悪的に振る舞ったりすると、読んでくれる人の絶対数を増やすことができます。
この二つはかなり切ない関係だと思ってます。この「切ない関係」を高次元で融合出来る人って、本当なかなかいないです。ものすごくその伝えたいことに詳しくて洞察があって、他の事象科目にも詳しい、いわゆるティーチングに向いてる人ってこういうことが高次元でできる人だろうなあ、と思います。
私は、この二つを高次元で融合できる人間でありたい、と思いますが、なかなか難しいです。また、この二つを「高次元で融合」することはできても、両方の欲求を完璧にいっぺんに満たすのは、もうほとんど不可能といっていいと思っています。
だから、私の文書を読んで理解できない人や反発を覚える人がいても、ある程度は仕方ないなあ、と思ってます。そして、私の文書に対して「両方に対して完璧であれ」という要求はして欲しくない、と思ってます。「こうなれば良かったかも」という指摘は本当に有り難いのですが、多くの人に物事を伝えたいと思ったときに、あえてそのように書く場合があることや、この切ない関係を「完璧」に満足させることなど出来ないことについてご留意いただければと思います。
投稿者 michy : 2006年11月30日 05:10 :
バトンや適当な発見や主張
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コメント
『読んでもらえる』には、他にも色々要素があるでしょうね。
#それを踏まえて、エントリで触れている内容にフォーカスしていると思いますが。
例えば、文書(文章?)の長さもあると思います。
相対する環境だったりもするでしょう。
#じっくり読める部屋や精神状況と、満員電車の中との差とか。
そんなこんなも含めて
高次元で成立させるのが、大変に難しいということも同感です。
自分の場合は、
「無駄なものをそぎ落とし、必要とされる人に対して読んでもらえて誤解を生まない」だけの
文書、資料をつくるのもままなりませんが。
Posted by: hrsg : 2006年11月30日 10:20
「読んでもらえる」というよりは、「心に届く」としたほうがよいのかなー、と思いました。ただ読んでだけもらえるのと心に届くのは違いますし、私が目指しているのはたぶん、後者なので。
文書の長さは私の大いなる課題ですが、それでも読んでくれる人がいるのは嬉しい事です。ただ、甘えず精進していきたいな、と考えています。
最後のものは私もたいへん困難です。
Posted by: michy : 2006年12月06日 18:54
