2007年02月23日

精神年齢の上げ方が知りたいです ブックマークに追加する

友人夫妻の家に遊びに行きました。四歳の女の子のお子さんがいました。

お子さんの持っている、苺模様のキッチンを模したおもちゃをみて、「かわいい!!!これはどこで売ってるんですか!?」と一緒に遊びながら嬉々としていると、夫に「それ本気でうらやましがってるやろ。頼むからオモチャのキッチンじゃなくて普通のキッチンで料理してくれ」と言われました。

…でも普通のキッチンだと火が出たり熱くなったりして危ないじゃん。

その後、ポケモンのキャラクターを教えてもらったりして楽しく過ごしました。イーブイがかわいくて少し夢中になりました。

帰って来て。

私「ねえねえ、私思ったんやけど、私って4歳くらいの子と精神年齢が一緒だね。2歳だとさすがにお姉さんな気がしたけど」

夫「…あ−あ。あえて言わないようにしていてあげたのに」

私「行動がタブって仕方なかったよ」

夫「言わないようにしていてあげたのに」

私「どうやったら精神年齢って上げることができるの?」

夫「…さあ。そもそも精神ってなんだよ」

私「…精の神??よく分からない」

夫「それが分からないとどうしようもないな」

私「なるほど。いや、それにしても、うちに子供が産まれたら、あなたが大変じゃない?私がいるでしょ、ココがいるでしょ、子供がいるでしょ。3人の面倒みないといけないよ。どうするの?」

夫「なあ。どうしたらええんかこっちが聞きたいわ」

…悲しくなったので、「私は子供の純粋さを持っている人間だ」と思っておくことにしました。そして、精神年齢が低いのに、よくここまで頑張って生き延びてきた、と自分を褒め讃えました。

投稿者 michy : 08:30 | コメント (0) | トラックバック | 日常 > 2007年 |    



2007年02月23日

新聞を読むのも大変です ブックマークに追加する

夫のことをよく知らない私の友人に適当に夫の愚痴を言うと、その夫の行動はあまりに通常ではあり得ないことなのか「え!?」と絶句されたり「それは…」と凍られることがよくあります。

そのたびに「いや、これはただの愚痴であって、それは夫がそういう行動に出るのも無理なからぬことで夫はとてもいい夫で」と夫が如何に私にとって素晴らしい夫であるかを説明するという、最初は愚痴を言ってたつもりだったのに夫を必死に褒めたたえているという何がなんなんだか分からない状態に陥ることが多いです。

おかげで最近は夫の愚痴をいうこともあまりなくなりました。「夫の愚痴を言わない」というのはステキな奥様への一歩である感じがするので、前進した感じで嬉しいです。しかし、愚痴をある程度言って発散しないとストレスが溜まっておかしくなる女性は多く、私もそのタイプなのがジレンマです。

ある日、夫とともに夫の友人と会っていました。夫の友人なら夫のことを分かっているから、私が愚痴を言っても絶句されることもなく夫の素晴らしさをいちいち解説して何をしているか分からない気分に浸ることはないだろうと思った私は適当に夫の愚痴を言っていました。

…いや、まあ、愚痴っていうかただのノロケなのかもしれません。

友「旦那は怖いよなあ」

私「ええ。もう大変で、ゲームをしてる最中に新聞をめくっただけで怒られるんですよ

友「…」(びっくりしたのか少し凍る)

私「音がうるさいって。仕方ないから読むのをやめて他のことをするんですけど」

夫「それはタイミングが悪いからや」

私「新聞を読んでる私がタイミングをはかれるわけないやん。私は疑似マルチタスクをやってるだけのシングルタスクやからMacOS 9やって言ってたのはどこの誰やねん」

夫「じゃあ静かにめくれば」

私「私にそんな器用なことが出来るわけがないやん!」

夫の友人が帰った後、夫とその出来事について会話しました。

私「まさかあそこでびっくりされるとは思わへんかった。長い付き合いの友人なら爆笑する箇所かと思ったよ」
(意訳:「さすがに『ゲームをしてるときに新聞をめくる音がうるさいから新聞を読むな』ということは長い付き合いの友人でもびっくりするくらいの行為であるのではないか。確かに私は一ヶ月以上新聞を溜めて、それなのに捨てるのに強固に反対しタワーのままにしておくおかしな妻だが、それはたまに新聞を読めそうな気分のときにも読ませてくれない貴方にも責任があるのではないか」)

夫「それはキミが情報をきちんと伝えてへんからや。プレイしてたゲームが『レジスタンス』というFPSでいつ敵が出てくるか分からなくて僕が常々怖い怖いって言いながらプレイしている、って情報を一緒に伝えへんと」
(意訳:「僕の行動がひどいのではなく、キミの情報の伝達の仕方が間違っているから反応がおかしかっただけだ」)

私「…それを言ったら反応が違ったっていうわけ?」
(意訳:「じゃあ、もう一度正しい情報を伝達をして反応を確かめてみてら違う反応が返ってくるわけやな」)

夫「どういう反応をするかは人それぞれやから、彼がどういう反応をするかどうかはわからへんなあ」
(意訳:「一つのサンプリングで物事が理解できるわけがなかろう」)

…きちんと説明したら違う反応をする人がいるというなら、ぜひ私の目の前に連れて来て欲しい、と思った私でした。

投稿者 michy : 06:48 | コメント (5) | トラックバック | 日常 > 2007年 |    

そういうことが出来る娘ではありません ブックマークに追加する

ある日母親からメールが来ました。適当に要約すると以下のような感じです。

「これは私の考えなのですが、○○について旦那さんに伝えるというのは旦那さんが気分を害するのではないかと心配です。あなたが旦那さんには黙って上手にやるのがいいのではないでしょうか。旦那さんのことを一番に考えてあげてください」

このメールを読んだ私は、少し悩んだ末に母親に電話をしました。

私「私が夫に黙って上手に何かをやれる人間なわけないやん!こういうのは出来る娘かどうかをよく考えてからメールしてよ

母「いや、あれを書いたのは私が心配やったからで、あんたのほうでええようにしてくれたらええんや。でも、私にしたら心配なわけや。心配する気持ちはわかるやろ?」

私「そりゃ、お母さんの年代は私の年代と違ってそういうものなんやろなと思うし、心配する気持ちはわかるで。でも、同じ理屈で反論したくなる気持ちもわかるやろ?メールで返事したらええんかもと思ったけど、いちいち書くの面倒で今はその気力もないから電話したんや。そもそもな(以下自粛)」

母「いや、そういうことやったらええんや。私はそういうこと分からんからな。メールは消しておいてください」

私「いや、消すってそういうことちゃうくてな、心配やったらメールでも何でも書いてくれたらええやん。ただ、私はそれに反論したいっていうだけや。言わずに通じることなんてほとんどないと思ってるし、今の私はストレス過多で受け流せる器量もあらへん」

母「まあ、確かに言わずに通じることはあんまりないかもなあ。それが難しいんやけどなあ」

私「だから、私が出来ることは風通しをよくすることだけやと思ってるねん」

(中略)

母「じゃあ、私は明日早いから」

私「ああ、遅くまで付き合わせてゴメン」

母「とにかくメールは消してください」

私「いや、だから、消すっていうじゃないねん!!!」

…心配事があったら書いてメールをしてくれるのは歓迎だけど、私も一方的にアドバイスを聞くのは負担だし、事情を説明しなければまた同じアドバイスを書かれるのではないかと思うことに耐える器量はないから事情を説明させて欲しい、ということを伝えたくて伝えれた、と思っていたので、最後の最後でどんでん返しで振り出しに戻ってガクッときました。親子でも意思疎通って難しいです。

夫は私と母の話を聞くたびに、かなりの確率で「お母さんがかわいそうだと思った」と言っています。そんな夫にこの話をしたら、いきなりココ(愛犬)の相手をしだし「ココはママのアホな会話をずっと聞いてたのか?偉いね。ママがアホでもパパと二人で強く生きてこうね」と語りかけていました。

投稿者 michy : 06:03 | コメント (2) | トラックバック | 日常 > 2007年 |    

2007年02月21日

やりたいことがあるようでないようで ブックマークに追加する

今はやりたいことがたくさんあるような、でもすべての優先順位は低くて、もっとより優先順位の高いものがありそう(きっと、今まで勤めてた会社で働きたいって夢がまだ断ち切れてなくて、その優先度がいつも限りなく優位なんでしょう)で、すべてが無意味なような不思議な感触です。

そのため、私が毎日「○○してみよっかなあ」と言って、夫が「いいんじゃない」というやりとりが繰り広げられてきました。

曰く「フランス語をもう一回勉強してみよっかなあ」、「プログラミングの勉強しよっかなあ。Ruby on RailsとPythonってどっちがいいの?あまりに世間がRuby、Rubyって言ってるからPythonがいい気がしてきたんだけど」、「編み物をやってみよっかなあ」、「英語の勉強したいなあ」、「フィニッシングスクール通いたいなあ」、「○○さんのところで無償のお手伝いさせてもらいに行こうかなあ」。

ある日、たまりかねた夫はこう言いました。

夫「言っていいかな。したいって言うのはいいから、何かしてくれ!」

私「えー。昨日、少しだけフランス語の勉強してたじゃん。30分くらい」

夫「そんな短時間でどうすんねん。『どうやって暇をつぶそうかな』って考えるんじゃないやから」

グサッ!!!

一時的に夢を失った、今の私にはすべての時間が「暇」という概念でしか捉えられないのです。これからの人生すべてが暇っていうか、「人生が大いなる暇つぶしである」ということに対して何の反論も思いつけず、むしろ賛同したい心境というか。

体の問題でやりたいことがやれなかった友人は何人かいて、私は器用に生きてきたので一時的にしろやりたいことをやれた時点で自分が恵まれていることは重々承知しているつもりです。でも「続けられないなら夢なんて叶わなければいいのに」と思ってしまうことも事実です。むー。

気力が続かないのは体調の問題である気もするし、ま、そのうち、長時間かけてもいい、やりたいことが見つかると思うので、それまで本を読んで過ごします。

投稿者 michy : 06:01 | コメント (6) | トラックバック | 日常 > 2007年 |    

ウェディングドレスを着たいです ブックマークに追加する

私たちは諸々の事情で結婚式を挙げていません。私は結婚式は挙げなくてすむならそっちのほうがいいなあと思っていたので、結婚式については後悔はまったくないのですが、そんな私もウェディングドレスは着たいです。

数年来「ウェディングドレスで写真を撮りたい」と言い続けていたら、2年ほど前から夫に「痩せてからね」と言われるようになりました。確かに、15キロは太ったので夫の気持ちも分かります。「妊婦さんの友人の結婚式に行ったけど、すごくステキだったよー」という説得もむなしく、「痩せたらね」と言われていました。

このたび、色々あって一番太ってたときから比べると10キロくらい痩せました。そこで夫に言ってみることにしました。

私「ねえねえ、ウェディングドレス着て写真撮ろうよ。私、だいぶ痩せたよー!」

夫「僕が痩せてないからダメ

ガーン!!!!

まさか「痩せたら」の対象が二人ともだとは思ってもみませんでした。だって、女の子がウェディングドレスを着るときは、男性はどうでもいい主役は女の子じゃん!

仕事が忙しくて、運動の時間の前に睡眠の時間もとれない夫がどうやったら痩せることが出来るのか妻は想像もつきません。いきつけの鍼灸院ではいつも「同じ人間とは思えません」とよく分からないことを言われています。

…ウェディングドレスの写真は諦めろってことでしょうか。ガーン。

悲しいと思いつつ、色々調べて、私の納得のいくクオリティを保ちたかったらかなりのお金のかかることが分かったので、それならそれでお金がかからなくていいかー、と思ってしまう実利主義の夢をみない私もいます。

投稿者 michy : 05:45 | コメント (0) | トラックバック | 日常 > 2007年 |    

私が食べられる物をつくるためにやっている作業の意味 ブックマークに追加する

「これでも考えて料理をしています」にも書いたのですが、私が食べ物を作る作業は困難なことが多いです。どうやったらものを圴一に切れるのか分からないことはあまりにも当たり前の現象です。

たとえば、ある日、私が○○という料理を作ろうとしていた日にはこんな会話が交わされました。

私「は!こんなところに冷凍ほうれん草を発見したよ。○○にほうれん草ってよくない?いれちゃえ」

夫「やめてくれ。それは○○じゃない!!」

私「うーん、じゃあ、この冷凍ごぼうは?」

夫「それも違う」

私「そっかあ。うーん、作り始めたら無いのに気付いた××の代わりには何を入れたらいいんだろうなあ。…。ま、なくてもいいっか」

夫「何でいいんだよ!!!」

私「いや、だって代わりがないし。大丈夫大丈夫。食べれるもの集めてを火にかけてるんだから食べれるものが出来上がるよ。かなりの、そう80%くらいの確率で」

夫「僕はその20%が心配なわけだが」

私「何でも完璧を追い求めるのはよくないよ。失敗を通じて成長があるんだよ」

夫「…成長があればね」

そんなある日、夫と「私が食べ物を作るときにやっている作業は何か?」という話題になりました。

私「私がやってるのってさ、『料理』じゃないよね」

夫「違うね。実験だね」

私「やっぱりそう思う?そうだよねー。私もそうじゃないかと思ってたんだよねー」

そして、次の日、私は大きな問題に気付きました。

実験って再現性がないと意味がなくないか?

私が食べ物を作る行為に再現性はありません。調味料の分量どころか選び方でさえ「気分」で「適当」で、何を使ったかその後に覚えていません。味見さえしてればそれでもいい気はするんですが、私は熱いと味が分からないので、いつも匂いと見た目で判断するという危険なことをやっています。

私「昨日、私の料理は実験だって話題になったけどさ、よく考えたら実験って再現性がないと意味が無くない?」

夫「きみがやってることは実験以下か」

私「以下ってなんだよ。ものごとに貴賤なんてないんだよ!」

私がやっていることは何でしょう。

投稿者 michy : 04:56 | コメント (2) | トラックバック | 日常 > 2007年 |    

2007年02月15日

ビリヤード柄のネクタイ ブックマークに追加する

何の用事だったか忘れてしまったのですが、私たちはデパートを探索していました。

私はバーゲンにつられて三軒ほどお店に寄って婦人服の買い物をし、夫に「それだけ僕に付き合わせるなら、電気屋に行くたびにMacを見ても文句を言うなよ」と言われました。私としては、頻度も金額も違うからそれとこれとは話が違うと思ったものの、「じゃあ、僕も紳士服売り場で好きな服をみる!」という主張には逆らえませんでした。

tie-billiyard.jpg
縦線はキューです

夫が適当に紳士服売り場をぶらつくので、私はいつも私たちからお金を吸い取っている魔のネクタイ売り場ヨシエイナバ付近をうろついていました。そうしたら、私は見つけてしまいました。

ビリヤード柄のネクタイ

ビリヤードは夫が好きなスポーツの一つで、何度か夫から「マイキューというのは素晴らしい」という話や「ビリヤード台を置ける家に住みたい」という話を聞かされた覚えがあります。そして、このステキなデザイン。このネクタイを夫が買わずに誰が買う、と思った私は「バレンタインにプレゼントするよ」と言いました。

しかしながら、夫は「こんな奇抜な柄のネクタイばっかり買っていいんだろうか。もう少しスタンダードなネクタイが必要じゃないんだろうか」と悩んでいました。私は「まるで私が奇抜なネクタイしか選んでないみたいじゃない」と反論したのですが、「いや、キミの選択は申し訳ないが奇抜すぎる」と言われました…。

しかし、私の「いや、このネクタイから『ビリヤードがお好きなんですか?』というコミュニケーションが始まって、ビジネスがうまく運んでだね」という説得が功を奏し、購入することになりました。

その後、若者向けのヤンキーっぽい服を見て「あの、大きな薔薇の花柄の入った白いシャツとか良くない?」「いや、僕は職質されたくない」と勝手なアホなトークを繰り広げました。薔薇のシャツはかなり気に入ったので夫に着せられないのが残念です。

そして、さっそく次の勤務の日に、夫はビリヤード柄ネクタイを着けていきました。私は帰りを心待ちにし、帰って来た夫に「ねえねえ、誰かネクタイについて何か言ってくれた?」と聞きました。

「何も」

ガーン!もうアイスブリザードの中に放り込まれたかと思うほど、凍ってしまいました。

私が妄想していた「ステキなネクタイですね。奥さんが選んでくれたんですか?ステキな奥様ですね」という会話は何処。何処ですか。そうでなくとも、こう私の主張した「ビリヤード、お好きなんですか?」という会話は何故始まらなかったのかと涙が出そうです。

ちなみに、「まあ人生いろいろあるってことで」を読んで、誰か一人くらい「奥さんに『ステキな奥様だね』って言ってる人がいたよ、って伝えておいてあげてよ」と夫に言ってくれる人がいるかと妄想して、そんな人はいなかったかと聞いてみたら、無言で話題をそらされました…。まあ、ある意味誰もそう言わないのは私の扱いを分かってるともいえて、私宛には、件のエントリを読んで「ものすごく頷きました。ステキな旦那様ですね」と実に私のことを分かったメールが届きました。私は良い友人を持ってます。

投稿者 michy : 00:50 | コメント (2) | トラックバック | 買い物 |    

2007年02月14日

車を買うことにしました ブックマークに追加する

私はずっと「車は維持にお金がかかるし、そもそも使う機会がないよ」と購入をしぶっていました。車の好きな夫はあの手この手で、なんとか私から車を買う同意を取り付けようとしていました。

例えば、私の大好きな憧れのラーメン屋にて。
夫「車があれば、ここにいつでも来れるよ」

私「どれだけ来るのよ。それならタクシーでいいじゃん」

夫「じゃあ、タクシーで来ようよ」

私「いや、でも、家からタクシーでここまで来ると凄いお値段なわけでしょ。いざその段になると、「そこまでして」って思っちゃうんだよねー」

夫「だから、車なんだよ」

私「うーん、でも車代金のほうがタクシー代金より高いでしょう。そうだ、最寄り駅まで電車で来て、そこからタクシーっていうのはどう?」

夫「電車のやってる時間に僕が家に帰ってこれるのって一週間のうちどれくらいだよ」

私「うーん。レンタカーって選択肢はどうかなー」

一緒に食べていた友人はたまりかねて言いました。

友「ねえ、今ってさ、車を買うか買わないかって話なんだよね?」

はい、まったくその通りです。私にとってそのラーメン屋はそれくらい重要なものなのです。一度真剣に、私にとってのラーメン屋のラーメンの値段をプライシングしてみたいです。

夫「そうだよ。そのために、他の手段を全部潰してるんだよ」

しかし、潰されてもへこたれずのらりくらり車は買わない方向でした。明らかに散在しまくっているし、私たちは妥協というものを知らないので、話がとんでもない方向に転がるのは目に見えています。

ところが、夫は新たな手段を思いつきました。

「体調が悪いキミが家に閉じこもっているのは心配なので、愛犬のココと一緒に気分転換にいろんなところに連れて行ってあげたい」

確かに、現状だと電車で出かけなくてはいけなくて、そうすると私はすぐに疲れてしまうので色々と行動に制限がかかってることが多いです。もちろん、行動範囲の制限もあります。鍼灸院や病院も予約しても行けなくて申し訳なくなって「もう通わないほうがいいのかな」と思ってしまうこともよくあります。自転車にのれる体調のときはまずないので、緑の多い場所にも長い間出かけてません。

タクシーという手もあるのですが、酔いやすい運転手の運転に乗ってしまうと「いますぐ下ろしてくれ!」と思ってしまうし、そうでなくても乗り心地のよくない車だと短時間でも乗るのは辛いし、知らない人と一緒にいるのは気疲れして、体調が悪いときに乗るのは精神的に負荷がかなりかかるのでなかなかに微妙です。

気分転換は重要でお金を使うべき事項な気はします。ただ、気分転換をしたからって症状がよくなるかどうかはまったく不明なので大いなる賭けである気はします。そして、このまま体調が良くならないかもしれないってことを考えると今そんなにお金を使うのはどうよ、とも思います。

でも、そもそも将来のことなんて分かりません。考えないようには努力していますが、やはり自分の死について考えないで過ごせる日などないし、明日死ぬのかもしれません。それなら悔いの無い人生を、と思います。それに車はずっと夫が好きなものなので彼のストレス解消にも必要かな、と思いました。

そこで、思い切って車を買うことにしました。

お金については、いざとなったら車を売ればいい、と思っておくことにしました。(でも法務だからか最悪のことを考えてしまう癖がついていて、私たちの故意でなくても私たちの故意だと認定されてしまう事故で車が全損したうえに自分たちが大けがをしちゃったらどうしよう、などと考えても仕方のないことを色々考えてしまいます…)

買う車については夫がいろいろ検討していました。理由が理由なので、車酔いのしやすい私もあまりガタンガタンせず乗り心地がよくて、体調を崩したときにすぐに横になれるように室内が広くて、シートの座り心地がよく、空気の入れ替えの出来るグラストップがあるとなお良く、乗っていて楽しくなるようにデザインがかわいい車です。夫は「デザインが素晴らしい!」と騒いでいました。

母親に「車を買うことにした」と連絡したら、開口一番言われました。

「まさか、あなた、運転せーへんやろな」

…運転免許は所持しているものの、自分が車を運転できるなんて大層な野望はもう持たないことにしているつもりです。試乗(?)させてもらったときにもハザードボタンを指して「その赤いボタンは何ですか?押すと手動でエアバックが出て来たりしますか?」とアホなことを聞いてしまって、「そっか。ハザードボタンってあったよな。ハハハ」と思いました。しかし、開口一番のこの台詞は少しぐさっときました。

私「夫が運転するだけだよ。まだ免許持ってないけどね」

母「よかった。免許書は身分証明書やと思っとくんやで」

私のことを分かってくれているいい母親だと思うのですが、かなり微妙な気分になりました…。

投稿者 michy : 20:57 | コメント (0) | トラックバック | 買い物 |    

2007年02月13日

あるドラマーを見て夫が思ったこと ブックマークに追加する

ある日、町中を歩いていると、楽器屋の軒先でドラムを演奏しているドラマーをみかけました。

楽器屋はチェーン店などではなく昔ながらの感じです。6万円ちょっとの値札のついたままのドラムを、安物のCDラジカセのBGMにあわせて叩いてる様子はなんともシュールで見とれてしまいまいました。

どうして値札はつけたままなんだろう。せっかくのパフォーマンスなんだから、もうちょっと高い楽器のほうがいいんじゃないのか。そもそも、何でパフォーマンスにドラムを選んだんだろう。BGMにしても、もうちょっと良い音の出そうなもののほうがいいんじゃ。

通り過ぎてから、夫が言いました。

夫「さっき僕が考えたことを当てたら何でも買ってあげるよ」

何でも!?そんな景気のいいことを言われたのは初めてな気がします。私ははりきりました。

私「値札をつけたまま演奏するな」

夫「違うな」

私「何でパフォーマンスしているのは、ドラムでベースじゃないんだ」

夫「違う」

私「CDのBGMとリズムがずれてる」

夫「おお、少し近づいた」

私「うーん。音程が狂ってる」

夫「違う。違う」

その後も、思いつく限りを並べましたが、全部違いました。

夫「正解を教えてやろう。サディスティックミカバンドの高橋ユキヒロはあんなシンバルの使い方をしない

わかるか!!!!私はエスパーじゃないねん!!!

参考:私の高橋ユキヒロに対する知識は、どうやら高橋ユキヒロはYMOの人のようで、ブリティッシュイングリッシュの発音がキレイらしい、というだけです。(他の人との混同があるかもしれません)当然のように演奏している曲が誰の曲か分かっているはずもありません…。判別がつくのはYMOのライディーンだけです。

さすがに、もう少しだけ簡単な問題だと思って一生懸命トライしていた自分が悲しく思えた瞬間でした。

投稿者 michy : 15:53 | コメント (0) | トラックバック | 日常 > 2007年 |    

2007年02月09日

「女性は産む機械」は女性差別だという反応への機械オタクからの一言 ブックマークに追加する

柳沢さんの「女性は産む機械」発言が話題のようです。

「政治家は言葉が命」にも書きましたが、私は言葉に含めた意味が分からない例えはそんなに問題ではなく、文脈から少子化の責任を女性だけに押し付けているように聞こえるのが問題だと思っています。「どうせまた失言したって報道されちゃうんだから、講演キャンセルしてその時間で勉強したらどうかしら」と講演の重大さも知らないまま思っています。

それはともかく、柳沢さんが女性を機械にたとえたことについて「女性差別的だ」「女性蔑視ではないか」とか、「人を機械にたとえるなんて」とか、「子供を産めない女性は欠陥品なのか」という論調をみかけます。

…最初は「まあねえ」とスルーをしていました。

私は別に機械って言われようが装置って言われようがそこはどうでもいいや、とすぐに思ってしまったのですが、「機械」という言葉にかける思いは人それぞれでしょう。

が、しかし、しかし、あんまりみかけているうちに、どうしてもどうしても言いたくなってきました。なんというか理系オタク的で、まるで意味のない非生産的な発言なのですが、言わせてください!!!!

機械に例えるのが差別だなんて、機械を差別しないで!!

機械に心がないって誰が決めて、何で分かってるの。人間の心の在り処が判明しているの。機械だって大事にして、幸せに過ごしてもらえるように扱おうよ。人間が自分たちのために勝手に作ったのに、文句も言わずに働いてくれる機械は尊いじゃん。壊れたら捨てちゃう人もいるのに、それでも人間を責めないんだよ。機械って素晴らしくて偉くて尊いじゃん!!!FF9をプレイしようよ!

はぁ。…スッキリしました。

投稿者 michy : 10:09 | コメント (3) | トラックバック | 時事 |    

2007年02月07日

まあ人生いろいろあるってことで ブックマークに追加する

前書きというかエクスキューズというか注意事項
本来なら辞令は、まだなのでこんなところに書くのはアレかな、と思うのですが、書かないことに対するストレスに自分が耐えられないので書きます。書くことというのは、私にとってストレス解消であり、事実を昇華することに繋がることのようです。そして、私が作ったスペースで私が書くことを否定する権利は誰にもないと思うし、それでもあえて否定するというなら他の代替手段を提案して私を満足させてみろ、と思います。

基本的にいつも上記のような理由でブログは書いているのですが、今回のエントリは特に「自分のため」という要素が強いです。なので、そういうのがダメな人とか、精神的に強くない人は読まないほうがよいと思います。

なぜなら、精神的におかしくなるから、と私が夫から読むことを禁止した本がいくつかあるように(念のために書くと、普通の学術書とか映画化もされたベストセラーのミステリーとかです)人はちょっとした文書を読むことでも精神的におかしくなれると思っているからです。(人を精神的におかしくする文書が良い文書か悪い文書かは私には分からないけど、影響を受けやすいくせにそういう文書が好きなのが私の困ったところです…)

ときどき、小説や映画などで、とある人間のために他人が辛い目にあわされているときに、「お前のためなんだからよく見とけよ」という台詞をいう登場人物がときどきいて、それはそれで重要なことだと思うのですが、それを言える資格があるのは、自分のために辛い目にあってる他人を直視する人間の精神が一時的にしろ恒常的にしろおかしくなるかもしれないその人について、きちんと責任をとれる人間だけが言える言葉じゃないのかな、と思ったりします。自分が耐えられるからって他人も耐えられるなんて保証はどこにもないと思っています。

蛇足ですが、その当時、私が意識的に考えたことは書いてありますが、目をつむるだけでおそってきていた心象イメージや、それにまつわることは、このエントリでは書かないほうがいいとなんとなく思ったので書いていません。いつか書きたいです。

また、現状を伝えると心配されてしまって、私を心配している他人をみると、私は「なんだか悪いことをしてしまった」と思ってしまって、それはそれで苦痛なので、自分のために書いておくと、私は現状を「そんなに心配するほどのことでもないんだよな~」と思っています。愚痴を聞いてくれると嬉しいですが、それ以上でもそれ以下でもなくって、むしろ深刻な顔をせず冗談でも言ってくれるほうが嬉しいです。…そっちのほうが難しい要求なのかな。

後ろ髪ひかれないとか、悲しくないとか、寂しくないとかいうと嘘ですが、私は別に今の状態でも夫がいるし本が読めるしブログが書けるしステキな友達がいるし幸福です。

退職のお知らせ
私は二月末日で現在勤めている会社を退職することになりました。以後は療養に努める予定です。(私が専業主婦になれるんじゃないか、という過大な期待は誰も抱かないでくれると嬉しいです。専業主婦には私にない別の才能がある人がなるものだと思っています…。私のことはNEETだと思ってください)

なので本当はブログの題名を変更すべきなのですが、愛着があるのでこのままでいきます。心は法務ってことで許してください。法律の話題は今後も書き続けると思います。

退職の経緯
精神的に、このブログには書くことができなかったのですが、実は一度一月の初めに仕事に復帰をしていました。医師には、「症状は落ち着いているし、勤務には制限があると思うけれども、それで会社側がいいというなら復職可能」といわれていました。会社側も、月に数日は休まざるを得ない体調であることを了解してくれ、仕事内容も配慮してくれる、ということでした。

仕事が好きだし自分で選んだ会社なのだから、体調のため自分のやりたいことができるわけでないことも、私と同じ目にあったことのある人でなければ私の気持ちなんてわかるはずもないのだから心無いことを言う人がいる可能性があることも、私は私の出来ることしか出来なくてそれ以上は望んではいけなくてそれで満足だとも思って、全て覚悟したつもりでした。そして、職場復帰のために、いつもの正月の帰省も、長旅にともなう疲れが仕事に影響を及ぼすのが嫌で取りやめました。

職場では暖かく迎えられた覚えしかないのですが、わけのわからない妄想に悩まされたり強い睡眠薬を飲んでも眠れなかったりして何故か二日目からは出社拒否気味になりました。それでも会社には行けたし、体調が悪い時期だからかなあ、と思っていました。次の週は出社拒否どころか片頭痛がひどくなって起き上がることもできず、薬がある程度効いてその上で無理をしてやっと一日会社に行けた、という状態でした。精神状態もかなり最悪で休職前に戻ったようでした。この時点で会社を辞めることも考えたのですが、それでも「うーん、復職直後だし、今も体調が悪い時期だし」と思っていました。

その次の週は体調のいい時期のはずでした。しかし、月曜日の朝、会社に行くために起きようとすると胸の奥が刺されるように痛くて起きれません。頭痛もひどく、薬を飲みましたが効く様子がありません。首のあたりが痒いのでおかしいなあ、と思っていたら、カポジ水痘様発疹症(参考:「カポジ水痘様発疹症と、人による感覚の違いと、医師という肩書きの意味」)が再発ぎみになっているのに気づきました。

たった三日の勤務で、ここまで状態が悪化するならもうダメだな、と思いました。まだ休職期間は残っているので再度休職という選択肢もあったのですが、休職というステータスはやはり「会社のために治らなければいけない」と期間を区切られているようで、それこそ毎日のように復職や「私は休んでまで会社に役に立つ人間なのか」ということを考えずにはいられなかったし、自分がいきなり休職することでも、復職することでも手間をかけた人がいるのは分かってしまうし、「自分が選んだ会社や同僚のためにならないと自分が思うこと」を続けることに耐えられないので、会社を辞めることにしました。

「自分が耐えられないので会社を辞めたい」と人事(上司に伝える精神力は既にありませんでした…)に伝えたら、当たり前のように「一週間考えてくれ」と言われました。そんなこと分かりきったことなのですが、そんな分かりきったことすら受け止められず、「何で辞めれないの!?」と苛立って体調が悪くなる自分が嫌でした。

また、「平日だから会社に行かなくてはいけなくてなのに会社に行っていない」という状態に私の精神は耐えられなかったのか、平日の会社のある時間の外出が出来なくなりました。病院がやっているのは平日の会社のある時間なのでお薬がきれてしまうのに病院にも行けません。仕方なく、とても仕事の忙しい夫に午前休をとってもらって病院にお薬を取りにいってもらいました。信頼できるお薬受け取りサービスがあればいいのに、と思いました。(保険証を預けたりするので、見ず知らずの何でも屋さん的なところにはさすがに頼めませんでした…)

平日は寝たきりの一週間が過ぎ、次の週に再度退職の意思が変わらないことを人事に伝えました。人事から辞意を伝えられた上司は「本人の意思なら」と答えてくださったとのことでした。おかげで特に揉めることもなく会社を辞めることになりました。

祖母の死
その後、特に何をするでもなく、アホなエントリを書いたり、鍼灸院に通ったりしながら日々を過ごしていると1月末に母から父方の祖母が死去した、という連絡がありました。

何故か私は肉親の死に弱いらしいのです。母方の祖母が死去した直後に一度目の休職を経験しました。父方の祖父が死去したあとも体調が悪くなりだし、かなり粘ったものの半年後に二度目の休職をいただきました。もちろん、休職の原因がそれだけだとは思わないし、誰にもそんなことは思って欲しくないのですが、かなりの負荷がかかったことは確かで一因ではないのかな、と思っています。

そして、三日と勤務できなかった「仕事」のために帰省をせず、正月に祖母の見舞いに行かなかった自分をやはり責めました。私がお見舞いに行く予定の前日に母方の祖母が亡くなってしまった体験が尾を引いているのかもしれません。すぐに「そんな考えに意味はないし、そんなことを考えて祖母が喜ぶとは思えない」とは思ったものの、理性と感情とは違う生き物のようです。

体調が悪い時期だったにもかかわらずに、日付が変わってから最寄駅まで帰ってきた夫に八つ当たりのように「やってられないから焼酎を買ってきて」とねだって、晩酌につきあわせました。…それでもまったく酔えませんでした。夫は「そんなものだよ」と言っていました。

荷造りのときに、「絶対に読めない」と分かっていても本を4冊も持っていかずにいれない私は変だなあ、と思いました。(持つのは夫…)

通夜と葬儀
夫ともに通夜に間に合うように帰省したのですが、無理を効かせていられるのは通夜や葬儀の間くらいで斎場でも寝たきりになってしまいました。親戚との会話もできず「体調が悪いので」と伝えるのが精一杯でした。…正直、斎場で寝ていても話し声や明かり(消せなかった…)で辛かったです。ノイズキャンセリングヘッドフォンでiPodの音楽を聴いたら少しマシになり、「ノイズキャンセリング万歳!」と思いました。

食事を食べるかどうか聞きにきた母親に「食べたくない。冷たいものなんて食べれない。寿司なんてとんでもない」という旨を伝えると「そこまで体調が悪いようには見えなかった」とびっくりされました。無理を効かせると饒舌になってハイテンションなうえに、動作では静止していることが困難になるので、元気そうに見えるのでしょうか。無理が効いてしまうのも問題ですね。状態を聞いた母親は「明日はお寺さんには行かないで早く帰りなさい」と言いました。

実家では、平衡感覚がおかしいのか始終ふらふらしていて階段から落ちそうになり、「私のマンションはフラットでよかった!」と思いました。メゾネットに憧れていたときに何かを間違わなくて本当に良かったです。よく考えれば、昔住んでいた家にいるときには何度も何度も階段から落ちて痛い思いをしていました。一番上から落ちたことも何度かあり、一度ならず走馬灯を見ました。そんなことを夫に伝えたら、「僕は記憶にある限り家の階段から落ちた記憶はないよ」とびっくりされました。…私はそもそも段差がなくてもこけそうになるかわいそうな人間なんです。

通夜の夜は疲れていたものの、やはり睡眠薬を飲んでもそれほど眠れず、ずっとiPodを効いて過ごしました。ノイズキャンセリングとiPodの組み合わせは最強だと思いました。本を読めるほどの精神状態にはならなかったですが、本があるとお守りみたいで安心します。もちろん、実家なので私が置いていった本もあるんですが。

葬式では、お葬式が終わったら祖母はいなくなるんだ、と思うと、「このままお葬式が続ければいいのに」と思いました。でも、願いむなしく何故かお葬式は終わってしまいました。火葬場までは行ったのですが、何で祖母が熱い中で焼かれなければいけないのか分からなくて、「何で私も一緒に焼いてくれないんだろう」と思いました。

その後の食事も当然のように食べれず、でもお骨拾いには行こう、と思っていたら、母親に「もう帰るんでしょう」と言われました。世間ではお骨拾いとお寺さんはセットだったのですね。気づかなかった私です。骨になった祖母を私は見ないと現状を受け入れられないような、でもそれだけの我が侭で母親に手間をかけさせるのも嫌なような、そもそも骨になった祖母をみないほうが自分にはいいような、そんな考えがいくらでも沸いて出るのですが、結局、いくら考えても何も決められずわけがわからなくて、当初の母親の判断に自分を委ねて、お骨拾いには行かずに帰ることにしました。

帰り道
帰りの新幹線では「何で私は今悲しくて涙が出るの」という疑問に囚われました。心配そうな祖母の顔しか思い出せない祖母の人生が幸福だったのかどうかは私には分かりませんでした。「これ以上長く生きて欲しい」なんていうのは祖母がいなくなることを受け入れたくない私のエゴだと思います。そもそも祖母の年齢からすると祖母は大往生なわけで、もっと早くで亡くなる人なんていっぱいいます。祖母がいなくて寂しいと思うならもっと会いに行けばいいのに長旅をすると臥せるからと年に一度しか会いに行っていません。弔いすら通夜と葬儀に出席するのが精一杯でその他は寝たきりでした。帰りの新幹線で悲しんで泣くなんて、ただの自己満足に浸っていたいからとしか思えないのに、どうして悲しくて涙が出るのかわかりませんでした。

夫に聞いたら、「それはお祖母さんはが亡くなったからだよ」と言われました。また、「通夜と葬儀に出れただけ頑張ったよ」とも言ってくれました。そして、「お祖母さんは幸せそうな顔だったよ」とも。

新幹線の駅から降りるときも、階段ではふらふらしてしまい、「なるほど。こんなときに手すりが役立つのね」と新発見をしました。階段には手すりは大事です。うんうん。

帰りのバスを待っている間は止まって立っていなくてはいけないので、何かしゃべりたくなりました。そこでふと思いついたことをしゃべることにしました。

私はよく「ステキな旦那さまですね」と言われるので、夫も同じようなことを言われているのかと思っていました。そこで、最近、折に触れて「○○さんってステキな奥様ですねって言ってなかった?」と聞いてみることにしました。しかし、ショッキングなことに、誰もそんなことは夫に対して言っていないようです。「お似合いですね」と言ってくれる人はいるようなので、ステキな旦那様に対して似合っている私はステキな奥様である、という理論で満足してもいいのですが、そこで満足できないのが私です。何で誰も言ってくれないんだろう。オカシイ。

は!あの人こそ!

私「ねえねえ、99%はダメだと思って聞くけど、鍼灸院の先生、『ステキな奥様ですね』って言ってなかった?」

夫「残念ながら言われてないし、前にも言ったけど、自分のどこに『ステキな奥様』と言われる要素があるのか考えてくれ!」

まあ、どう客観的に考えても休職していて家事をほとんどしないかやってない時点でステキな奥様は成り立ちようがないわけですが、そこをどうにかしてステキな奥様になりたいわけであって。

私「ステキな奥様を目指して頑張る!フィニッシングスクールに通うの」

夫「ステキな奥様、ステキな奥様ってそんな恥ずかしい単語をこんな公共の場で大声で言わないでくれ。そして、通うのはいいから、きちんと身につけてな」

…脳裏を数々のものにならなかった習い事がよぎって、「か、通わないほうがいいのかな」と逡巡しましたが、こんなかわいそうな私にも手を差し伸べてくれるフィニッシングスクールがあると信じて探します、きっと。

会話が途切れてしまったので、平静を保てなくなって新たな会話を模索しました。

「ねえねえ、私の考えた『RPGで考える仕事-挫折編』について聞きたくない?」

夫「…どっと疲れたわ。頼むわ。キミの考えるステキな奥様は、疲れてる夫に向かって唐突に『RPGで考える仕事-挫折編』についてウキウキと語りだすんかい」

…また一歩遠のきました。

投稿者 michy : 17:26 | コメント (10) | トラックバック | 日常 > 2007年 |    

どうして働くか ブックマークに追加する

私が働くのは働くことが好きだからで、他の人も多かれ少なかれそんなものだと思っていました。しかし、ある日、友人と仕事の辛さについて語っていると「それは仕事でお金もらってるんだから苦しいよ。仕事をしなくても生活していけるなら毎日踊って暮らしてる」と言われてびっくりしました。

その友人とは似ている嗜好があるものの、いろいろと価値観が違っていて、その違う価値観について忌憚の無い意見を言い合うのがとても楽しいなあ、と思っています。仕事についても色々と視点の違うことがあって勉強になるなあ、と思っていたのですが、その視点の違いに今になるまで気付かなかったことにびっくりしました。…ちょっとしたズレの元を知るためには、本当に大元まで遡った話をしないとダメだなあ、と思いました。

私はお金をもらわずに生活していけるなら、お金なんてもらわずに働いてもいいと思っています。私はそう思えるだけの仕事しかしたくないし、できるとも思えないし、「それじゃ生きていけないよ」と言われたら、別にそこまでして生きていたくないと思っています。そして、少なくとも意識的には、それが高尚な思考だとかそう思っているわけではなく、ただ単に私はそういう人間だと思っています。(無意識に思っていて、それが文章に表れてる!って批判も受けそうだけど、それは人間はある程度自己を肯定したい生き物で、ある程度の自己欺瞞に陥ることは仕方がなく、私はその無意識を制御できるほどの器量はないので、そこはもう仕方がないと思っています)

私がお給料をもらうのは生活のためと、自分が付加価値を生み出しているのに相応のお給料を受け取らない仕組みを作ってしまったら、その会社のためにも、社会のためにもならないと思っているからです。

だから、自分が、お給料をくれる人に、ひいてはエンドユーザーに、提供していると感じる価値より多くのお金をもらうときは、とても気が重いです。それは自分がもらってはいけないお金をもらっているような気がします。そんなときはとても罪の意識を感じるので、必死で「私には生活があるからこのお金をもらってもいいし、そもそもこれは会社からの私の将来への投資なんだ」などの一見合理的な理由を探して自分が感じる付加価値以上のお金を受け取る自分を騙そうとしています。

夫も「働くのは好き」という人なので、根本は一緒かな、と思っていたら、ある日彼が不思議なことを言いました。

「僕が仕事をする根本は、仕事が楽しいからだと思う。すごくしんどい時期もあったけど、そのときも楽しかったなあ、って思った」

…私にとって仕事は楽しいことも多いですが、苦しみのほうが大きくても働いていたいくて、それで幸福です。たとえ、給料の総額を、鍼灸やマッサージや、良い食べ物や、働くことによって生じるストレス解消のための買い物や飲み会やタクシー代や、働くと家事ができないので家事サービスや、そんなこと全部に費やして、それでも働いていて頭痛なり腹痛なりが止むことがなくても、私の精神が耐えられるなら働いていたいです。それは働く前からそういう考え方でした。そして、働き始めるとその思想はもっと強くなりました。(実際にかなりの額を働くために費やしていたと思います。その手の話をするとひかれることが多いです…)

それを考えると、私は「楽しいから」働きたいんじゃないよな、と思いました。別に楽しくなくても仕事は続けたいです。それは、やっぱり「好きだから」なんですが、よく考えれば仕事が好きな理由があるはずにも思えます。

そこで、その理由を一生懸命考えてみました。そして、やっと分かりました。私は、仕事をしていると「自己が肯定できるから」仕事が好きで仕事をしたくて仕事をしていれば苦しくても幸福なんだなー、と思いました。(どこから生まれたかは私には分かりませんし、変更したいとも思いませんが、きっと根本には自己に対する無価値感というか自己否定の意識があるんでしょう)

さっきの発言と逆になるようですが、会社が私にお給料を払うのは、やっぱり自分にそれだけの価値があるからだと思えます。また、私がお給料をもらえるのは、社会が私に対してその価値を払っているから、還元すれば社会に対して何かをしているからだと思えるし、その成果が目に見えます。人に感謝されることも、お礼を言われることも、笑顔をむけられることもあります。しかも、それを多数の人から受けることがあります。

ストレス耐性がないのにこんな考え方だから無理をしちゃうし、なまじ休職にいくまで無理をできてしまうのが私の生き方がツライって言われるもとなんだろうなあ、と思いました。でも、そうでない生き方ができるとも、したいとも思えないし、ツライならツライままでいいし、そうでなくなるなら自分でないとも、自分を変えてまで生きていたくないとも思ってしまいます。

しかし、それにしても働く理由って人それぞれでびっくりしました。

投稿者 michy : 09:47 | コメント (0) | トラックバック | バトンや適当な発見や主張 |