2007年02月21日
私が食べられる物をつくるためにやっている作業の意味
「これでも考えて料理をしています」にも書いたのですが、私が食べ物を作る作業は困難なことが多いです。どうやったらものを圴一に切れるのか分からないことはあまりにも当たり前の現象です。
たとえば、ある日、私が○○という料理を作ろうとしていた日にはこんな会話が交わされました。
私「は!こんなところに冷凍ほうれん草を発見したよ。○○にほうれん草ってよくない?いれちゃえ」
夫「やめてくれ。それは○○じゃない!!」
私「うーん、じゃあ、この冷凍ごぼうは?」
夫「それも違う」
私「そっかあ。うーん、作り始めたら無いのに気付いた××の代わりには何を入れたらいいんだろうなあ。…。ま、なくてもいいっか」
夫「何でいいんだよ!!!」
私「いや、だって代わりがないし。大丈夫大丈夫。食べれるもの集めてを火にかけてるんだから食べれるものが出来上がるよ。かなりの、そう80%くらいの確率で」
夫「僕はその20%が心配なわけだが」
私「何でも完璧を追い求めるのはよくないよ。失敗を通じて成長があるんだよ」
夫「…成長があればね」
そんなある日、夫と「私が食べ物を作るときにやっている作業は何か?」という話題になりました。
私「私がやってるのってさ、『料理』じゃないよね」
夫「違うね。実験だね」
私「やっぱりそう思う?そうだよねー。私もそうじゃないかと思ってたんだよねー」
そして、次の日、私は大きな問題に気付きました。
実験って再現性がないと意味がなくないか?
私が食べ物を作る行為に再現性はありません。調味料の分量どころか選び方でさえ「気分」で「適当」で、何を使ったかその後に覚えていません。味見さえしてればそれでもいい気はするんですが、私は熱いと味が分からないので、いつも匂いと見た目で判断するという危険なことをやっています。
私「昨日、私の料理は実験だって話題になったけどさ、よく考えたら実験って再現性がないと意味が無くない?」
夫「きみがやってることは実験以下か」
私「以下ってなんだよ。ものごとに貴賤なんてないんだよ!」
私がやっていることは何でしょう。
投稿者 michy : 2007年02月21日 04:56 :
日常
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コメント
あなたがやってることは「アート」です。アートは創作活動故に再現性は皆無です。今後も創作の道をまい進してください。
で、いいんですが、今の料理本は役に立ちますよ。煮炊きなんかは本のとおり作ればとても美味しいですよ。
Posted by: 生まれは「なかぎょう」です。 : 2007年02月21日 12:15
なるほど、アートだったんですね。アートは大好きだし、これからもアートな道を邁進します。アートには犠牲はつきものですもんね。
料理本は数冊持っているのですが、どうも普通の人を相手に書かれているようで、私には実現不可能なことや意味がわからないことが書かれていたりして困っています。
どこかに「とても不器用でも大丈夫!数式で考える料理」っていう本がないかなーと思っています。「肉 + 野菜 + オイスターソース = 野菜炒め」で料理方法や注意事項が書いてある感じで、「分量はいい加減でも大丈夫!毎日の変化を楽しみましょう」っていうコンセプトの。
Posted by: michy : 2007年02月21日 20:25
