「哲学」島田 紳助/松本 人志
紳介とまっちゃんが主にお笑いや人生の哲学について往復書簡のようにしたためられた書です。
夫が帰って来て、ふと床にある本を見つけて、夫婦でいかにも本オタクという謎な会話をしました。
夫「(一瞬、表紙を見て)ちくまは分かってるよな」
私「幻冬舍やけどな。幻冬舍も分かってると思うけど」
夫「幻冬舍か。幻冬舍も分かってるよな」
こういう会話が楽しい時点で、私も夫もかなりオタクです。
それはともかく、著者の二人がやっていた番組「松本紳助」がかなり好きで、番組の本は全部買ったと思うのですが、番組の本はあくまで「しゃべりを本に起こした」でしかないのに対して、きちんと「本向けに書かれた」本書は読み応えがありました。
色んなところで聞いたり読んだりする話ではあるけれども、ダウンタウン結成(って言えるのか?)当初のエピソードや紳介竜助解散時のエピソードは今まで一番読み応えがあったし、まっちゃんが「松本紳助」を「玄関先の挨拶」で「いわゆるトーク番組としては失敗」と評しているのも、「事前の打ち合わせをあまりしない」(同じことを繰り返すのは嫌だし出来ない)と言ってるのも、紳介が本当に師匠や他人の漫才をものすごく分析してノートにつけて、自分でどうすれば受けるのか考えて、パターンを作って再生していた、ということを語っているのもおもしろかったです。
ただ、二人に興味が無い人にもおもしろいのかと言われると少し疑問符がつくし、ファンならファンで「ああ、どこかで聞いたり読んだりした話だな」と思う話ばっかりだと思うし、なかなかターゲット設定が謎ではあります。私のように「同じことでも、表現方法を変更して何度も繰り返し読みたいわ」と思う、ニッチでコアなファンでしょうか…。
それはともかく、本書の中で、特に私の心をとらえたの話はボケとツッコミと、芸人における繊細と大胆でした。例によって、夫との間で小話があるので感想ついでに記します。
私「ねえねえ、パオロ・マウリツァーノじゃないけど、紳助も『ツッコミは努力で上達するものだが、ボケの才能はそうはいかない』って言ってたよ」
夫「パオロ?」
私「ちくま新書の『つっこみ力』の作者」(読んだことありません。ごめんなさい)
夫「ああ。あっそう」
私「でね、私思ったの。ってことは天然ボケ、天然ボケっていうけど、ボケは天然でしかないやん!」
私が『天然ボケ』と言われる比率は並ではありません。「天然ぼけ」というエントリにその悲哀がにじみ出ています。誰でも気付くと思いますが、ここに出て来る友人が夫です。
しかし、私はここに回答を発見したのです。努力でどうにもならず、天然にしかあり得ないものなら、実は天然はものすごく貴重なんじゃない!?
夫「…なに、自分を正当化してんねん」
私「正当化したいやん!何よ、人間は自分を正当化していくことによって生きて行くんだから。ふん」
しばらく後。
私「同じ本でね、まっちゃんが芸人を繊細と大胆に分類してたの。まっちゃんは繊細で、浜ちゃんが大胆。紳介は繊細でサンマが大胆なんだって」
夫「当たり前やん」
私「でね、ってことはいつも『おもしろい』と言われる私たちはどうなんだろう、と思ったの。考えてみたんだけど、二人とも繊細なんだよね〜」
夫「はあー!?」
私「え?二人とも繊細。な、なにがダメ!?どこがダメ!?」
夫「…。キミは自分を繊細ってことにしときたいんやろ」
私「え?しときたいんじゃなくて、そうやと思ってて、そう主張してるだけやけど…」
夫「…さようなら」
私「ちょっと待ってよ!私のどこが繊細じゃないの?少し打たれ強いところはあると思うから大胆さも併せ持ってるとは思うけど、こんなに心の細やかなんだから」
夫「もうええわ。あのな、キミにはいい台詞をあげよう。僕の同僚の名台詞のもじりで『繊細の定義がくずれるから辞めよう』」
私「??どういう意味?」
夫「僕が自分が普通やと思う、って主張してたら『普通の定義がくずれるから辞めましょう』って言われた」
……そんな夫の履歴書を見るだけで、そうでなくとも夫を一目見るだけでもわかる、明らかなデタラメと私の主張は違うと思う、と思いました。












